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哲学者と老境

老境は必ずしも穏やかではないのか?


 『晩年のカント』(中島義道著、講談社現代文庫、2021)を読んでみました。いわゆる三批判書以降のカントの思想的足取りを、人間性を絡めてたどった良書。とくに、宗教に関する論考が検閲に引っかかってしまったことが、その思索全体に長く暗い影を落としたのではないか、というのがとても興味深いですね。その後の著作の計画が、当初のもくろみだった形而上学の構築から逸れたように見えたり、またある種の著作が検閲への反撃であるかのように読めたりすることを、著者は蕩々と説いています。

 と同時に、フィヒテとの間に生じた確執のように、独自の体系的な理論を構築し擁護し続ける哲学者の晩年は、えてして同業者たちとの決裂や孤立に彩られているといった話も言及されています。思想家の円熟期というものが、必ずしも心穏やかなものにはならないのは、世の常なのかもしれませんね。

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工学とベルクソン

やっぱり工学からのアプローチは期待の星


 遅まきながら、ベルクソンの『物質と記憶』をめぐる三部作の最終巻『ベルクソン『物質と記憶』を再起動する——拡張ベルクソン主義の諸展望』(平井靖史、藤田尚志、安孫子信編、書肆心水、2018)を読了しました。個人的には三部作の中で最も刺激的でした。というのも、ここでは工学からのアプローチが大きな比重を占めているからです。情報工学的なモデリング(AIとかの)を通じて、ベルクソン的な問題系との比較、検証、修正などを図る、というのはとてもスリリングですね。なかでも谷・三池・平井の三氏による鼎談は、アイデアの活発なキャッチボールという感じで、臨場感にあふれた優れものという感じでした。

 作って検討、というのは、これから様々な分野で活性化されてしかるべきアプローチのような気がします。

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Early Greek Philisophy V

5巻目はほぼほぼエンペドクレス


 Loebの初期ギリシア哲学集成、第5巻(西方ギリシアの思想家、パート2)は、800ページのうちの大半がエンペドクレス。なぜにこんなに、と思わないでもないほどのボリュームですが、教義内容は(少なくとも現存するテキストでは)それほど厚みがあるわけではないような印象でした。ただ、基本的に詩人ということで、詩はむちゃくちゃ難解。何が言いたいのかわからない感じですね。詩の先行性というのはこういうところにもあるのかしら、なんて思ったりします。

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【書籍】失敗の本質

今に通じる組織論


 ドラマ出演者同士の結婚で再注目のキーワード「逃げるははじだが役に立つ」。もとはハンガリーのことわざなのだとか。でもこれ、五輪についても適用できそうで、なにやらとてもタイムリーな感じがします。

 コロナ禍での五輪開催はときにインパール作戦などにも喩えられたりしていますが、その関連もあってか、このところ再注目されているらしいのが、『失敗の本質——日本軍の組織論的研究』(戸部良一ほか著、ダイヤモンド社、1984)という一冊。2013年に電子化されて、ロングセラーになっているみたいですね。というわけで、読んでみました。

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 これもとても面白いですね。当時の日本軍の組織論なのですが、まさに今に通じる問題があったことが指摘されています。組織としてクリティカルな判断を下すさいに、合理性よりも人情論に流されてしまうことや、不測の事態にそなえたコンティンジェンシープラン(いわゆるプランBですね)を端から検討しないこと、中止・撤退論をタブー化してしまうこと、科学的思考や情報を過小評価してしまうこと、長期的な展望をもたず、短期志向の戦略に惑溺してしまうことなどなど。

 環境への適応がいちどうまくいくと、その成功体験が幅をきかせてしまい、さらなる変化への適応ができなくなってしまうなどの組織の問題点も指摘されています。これは今の日本型組織にも綿々と無批判に受け継がれていることだといわざるをえません。政党や行政機関だけでなく、企業も同様ですね。そうした固着化した組織の風通しを良くするためにも、中止・撤退を多少無理筋であろうとも議論することは、意義があるように思われます。中止・撤退することも、別様の「成功体験」として学ぶべきかも。

【書籍】自由意志の向こう側

自然主義の隆盛


 木島泰三『自由意志の向こう側——決定論をめぐる哲学史』(講談社選書メチエ、2020)を読んでみました。哲学史上の決定論(運命論)の系譜を、古代から取り上げているのですが、こうした問題では、やはり近代以降の多少ともアクチャルな議論が興味深いところです。科学の進展にともなって、人間観としても自然主義がますます隆盛になりつつある昨今、そこから導かれるであろう各種の決定論に、ただ付き従うのではなく、自由の議論の側もどのようなカウンターを繰り出せるのか、あるいは百歩譲ってどのような折衷案を突きつけることができるのか。そういうことを問うている一冊です。

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 哲学史の研究は、その歴史的な文脈にひたすらこだわり、徹底的に身を閉ざすことも可能ですし、あるいはまた、そうした文脈から離れて、アクチャルな問題を史的な観点からひたすら逆照射するという可能性ももちろんあります。でもそれらはどちらも極端な立場ですよね。両者の中間、いわば折衷案的なスタンスも幅広く存在しえます。それらを広く提示し、読者にいろいろな可能性を提示して見せる、という立場も当然ありえます。で、同書はまさにそういうスタンスを取っています。