数学的対象の存在論 – 0

現存する最古の「ゼロ記号」の用例が見られるとされるバクシャリ写本(Bakhshali manuscript)は、1881年にパキスタンで発見された文献。当然ながら数学史的に重要なものとされ、従来は8世紀から12世紀ごろにかけて成立したとされてきたようだが、炭素年代測定法の結果、実は3世紀から4世紀のものだったことが判明したと先週、オックスフォード大学ボドリアン図書館が発表したそうだ(こちらの記事を参照)。バクシャリ写本というのは、算術の問題と解答が記されている文献で、そこでのゼロ記号(ドット記号)は、桁を表す記号と自立した数字との両義的な記号として扱われているようだ。ドット記号がそれ自体一つの数字として確立されるにはもう少し時間がかかったようなのだけれど(ゼロ概念について論じた最古の論考は628年の『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(Brahmasphutasiddhanta))、それにしてもこの記号的両義性はなかなか悩ましいもののようにも思える。

Philosophie Des Mathematiques: Ontologie, Verite, Fondements (Textes Cles De Philosophie Des Mathematiques)これがやたらと気になったのは、数学的対象の存在論についてのアンソロジーを読み始めているところだったからか。仏ヴラン社の「テクスト・クレ」シリーズから出た『数学の哲学−−存在論・真理・基礎』(Philosophie des mathématiques: ontologie, vérité, et fondements (Textes clès de philosophie des mathématiques), éds. S. Ganidon et I. Smadia, Librairie philosophique J. Vrin, 2013)というもの。サブタイトルのテーマで三部構成とし、それぞれ2〜3本の重要な論文ないし文献の抄録をまとめたもの。さらにテーマごとに解説も付いている。というわけで、同書も精読していきたいところ。まず第一部はポール・ベナセラフという米国の哲学者の二つの論考の抄録。「数は何でありえないか」(65年)と『数学の真理』(部分:73年)。冒頭の解説によれば、ベナセラフの論考は数学の哲学においては重要で、後の世代に与えた影響が大きいという。たとえば都市というものが都市名で参照される対象であるように、整数(entiers)もまた参照の対象であると考えるべきだとしつつ、一方で、それは通常の対象物と必ずしも同じ意味での対象なのではないとも述べているという。実在論的ながら、奇妙な捻れを含んだ存在論というところか。この捻れは、後に大きな分裂をもたらすことにもなるらしい。さしあたり本人の論考においては、後者の考え方に重きを置くのが65年の論考、むしろ前者の側面を強調するのが73年の論考なのだとか。これはある意味、意味論と認識論との間の逆説でもある。数学記号を意味として一義的なものと捉えることは計算の基本になるけれども、認識論的に考えるなら、理論的な組み合わせによって必ずしも同一記号が同じ内容を表すとは限らない、といった事態が生じる。これが捻れの正体でもあるわけだけれど、ベナセラフ本人はこの捻れ・齟齬については問題を開いただけでよしとしているという……。そういった概要を踏まえつつ、実際のテキストに当たってみることにする。