錬金術書のわかりにくさ

錬金術書を扱った論考を二つほど見てみた。一つは『太陽の光輝』についての文献学的な論考(Jörg Völlnagel, Harley MS. 3469: Splendor Solis or Splendour of the Sun – A German Alchemical Manuscript,The Electronic British Library Journal, 2011)。『太陽の光輝』は著名な錬金術書で、細密画を伴ったなかなか豪勢なもので、1530年頃のベルリンの写本がオリジナルだとされているのだとか。論文著者は博論(書籍として刊行されている)でそのベルリンの写本を扱い、そこからいくつかのコピーが作られていることを示したのだそうだ。で、こちらの論考では別のハーレイ写本(ロンドン)を扱っている。『太陽の光輝』の作者はパラケルススの師匠だったといわれるサロモン・トリスモシンだとされているけれど、そもそもこの人物自体が伝説上の人物かもしれないという。論文著者によれば、この書はそれ以前の15世紀の複数の錬金術書を下敷きに一種のパッチワークとして書かれているといい、主なものとして1410年の『立ち昇るアウローラ』(Aurora Consurgens)を挙げている。とりわけ興味深いのは、オリジナルのベルリン写本の細密画について、論文著者はアウグスブルクの画家イエルク・ブロイ(父)が作者である可能性を指摘している点。ブロイの手による蔵書票の絵が、様式として似ているというのだけれど、ちょっとよくわからんような……。あとハンス・ホルバイン(子)の影響も指摘されているけれど、これもよくわからない(どうやら同著者による書籍のほうに詳しいらしい)。さらに当時流布していたほかの絵入りの錬金術書(『神の賜物』『哲学者たちの薔薇園』『聖三位一体の書』)の図像がもとになっているともいい、なにやら著書の予告編を見せられている気分。うーむ、これでは本編が読みたくなってくるではないか(笑)。

もう一つはベルリン州立図書館所蔵の、アラビア語の錬金術語彙集についての考察(Gabriele Ferrario, Understanding the Language of Alchemy: The Medieval Arabic Alchemical Lexicon in Berlin, Staatsbibliothek, Ms Sprenger 1908, Digital Proceedings of the Lawrence J. Schoenberg Symposium on Manuscript Studies in the Digital Age, vol.1)。シュプレンガー写本1908というそれは、語彙集とアラビア語版の『明礬と塩の書』(Liber de aluminibus et salibus)が入っているのだという(この後者はかつてアル・ラーズィーの書とされたものの、今では否定され、12世紀スペインでの編纂とされているのだとか)。で、問題とされるのが錬金術の語彙。いろいろな用語が様々に言い換えられ、しかも文脈の判断も難しいため、判読するのはひどく難儀である、とされる。語彙集はそうした言い換えを集めてはいるというものの、確かになにやらひどく錯綜していることが窺える。『明礬と塩の書』での一例として、何かの操作のための鉛の準備の記述が紹介されているのだけれど、いきなり最後のほうで「ビネガーと鷲を入れれば、最良の結果が得られる」みたいなことが書かれていて、この鷲というのは何かがまるでわからない。語彙集によればそれはどうやら塩化アンモニアらしいということが分かるのだという。けれどもこれは良い例で、実際にどんな成分を用いるのか特定するのが不可能な場合も多いという。言い換えやその組み合わせはほとんど無限。だからこそ、今の時代の研究として、校注版作成のためにデータベースの確立などデジタルメソッドが必要だ、と著者は説く。

Splendor solis、Harley MS 3469
Splendor solis、Harley MS 3469