パルマのブラシウスによる『魂の諸問題』は、『魔術的中世』のヴェスコヴィーニの校注版が出ていることを知る(大橋氏のブログ『ヘルモゲネスを探して』のアーティクルで触れられている)。というわけで早速取り寄せてみた(Graziella Federici Vescovini, Le Questiones de anima di Biagio Pelacani da Parma, Leo S. Olschki Editore, 1974)。ブラシウスの『魂の諸問題』は、異端の嫌疑で糾弾される前の1385年のもの(ヴァチカン写本)と、糾弾された1396年の後のもの(トリノ写本)があるようなのだけれど、同書のテキストはこの前者を主として再録し、後者で補完している形のようだ。まだちゃんと中身を読んでいないのだけれど、ざっと序文を見た限りでは、その内容はかなりラディカルで面白そうだ。パドヴァの物質主義的なアリストテレス解釈の流れを酌んでいて、人間の知的霊魂は物質的なもので、不滅ではなく、生成・消滅が可能だとし、さらには星辰の影響をも被るとしているという。自然発生(これまた占星術的な星辰の影響によるとされるらしい)論を支持し、さらに神は「永続する生き物」(animal sempiternum)、世界全体を導く物質(第一質料、あるいは物質世界の全体)であると見なしているのだとか(この言は別の著作『魂についての結論』のものらしいが)。ここだけ見ると、なにやらすごいことになっている(?)。ジャン・ビュリダンの影響などもあるのだとか。本文をめくるのがなんとも楽しみだ。追って報告しよう。
ロジャー・アリュー『スコラ学者たちの中のデカルト』(Roger Ariew, Descartes among the Scholastics, Brill, 2011)を読み始めている。著者の個人論集で、デカルトとスコラ学の関係を多面的に扱った論考が居並んでいる。これはなかなか興味深い。そのうちの第二章が、スコトゥス派の話に当てられている。エティエンヌ・ジルソンの功罪の一つは、デカルトの時代についてトマス派を持ち上げ、スコトゥス派を顧みなかったことだとされる。著者によると、その理由の一つは、当時のローマでトマス派が支配的だったことを受けて、他の地域もそれに従ったに違いないとジルソンが推測したことにあるという。さらに、ちょうどジルソンが生きた一九世紀末から二〇世紀初めにかけてトマス主義が隆盛を極めたことで、結果的にその影響によってジルソンにおいてもトマス主義偏重が強められたのではないか、ともいう。実際には、16、17世紀のパリ大学などにおいてはむしろスコトゥス思想が一般的になっていて、トマス主義を重んじる傾向にあったイエズス会とは様々な点で(文化的、政治的に)対立していたという。イエズス会のコレージュ開設をパリ大学側が阻止しようとしたりしていたのだとか(1595年、1604年、そして1616年以降)。ちなみに、デカルトは当初イエズス会での教育を受けていたわけだけれども、その思想はむしろスコトゥス主義と親和的な要素を多々もっているとされる。