中国から西方へ

空き時間読書で中野美代子『三蔵法師』(中公文庫、1999-2007)を読む。。もとは1986年刊。三蔵法師こと玄奘は、史実としては7世紀の人物だが、伝説化された人物像では、まさにフィクションの王道というべきか、実在する百年前あるいは百年後の時代に登場したりするのだそうだ(ちなみに『西遊記』そのものの成立は16世紀)。で、同書は伝説や物語に描かれた像ではなく、実像のほうを追った一冊。もちろん実像を追うといっても、その端々に伝説・伝承のたぐいが偉人のエピソードとして微妙に入り交じっているわけなのだが……。当然ながら、その西方への旅が丹念に再構成されているあたりはまさに読みどころ。北側のルートから今のアフガニスタン北部へ至り、そこから南下してインドに入り、インド全域をほぼ一周して再びほぼもとのルートで戻っているのだという。なかなか壮絶な行程であることが窺える。また、博覧強記の著者だけに、本筋に関連する様々な言及がまた楽しい。福建省の開元寺にあるというレリーフの玄奘像がインド人を思わせる顔つきで、それが工事に関わっていたインド人僧侶らの手になるのではないかという話とか、19世紀にヒトホーフェンにより命名された「シルクロード(Seidenstrassen)」が外来語嫌いの中国ですら定着している話とか、ウイグル文字が横書きのソグド文字を縦書きにして成立し、さらにはるか後にはそれがモンゴル文字、満州文字にまで連なっていくといった話とか、西方に紙が伝わるきっかけとなったタラスの戦いの話とか(玄奘もタラスを通っているのか……)、まだまだ盛りだくさんだ。また、帰国後を追った第四章も、玄奘を還俗させて外交顧問にしようとした当時の君主、太宗との確執などが描かれていて興味深い。太宗は国土の拡張政策を目していて、諸国の情報は喉から手がでるほど欲しかったのだろうなあ、と。

そのことにも多少関係するが、中国が同時代的にローマ帝国をどう見ていたかについて触れた論文を少し前に眺めた。クリスティナ・ホッパル「古代中国の史料によるローマ帝国」というもの(Krisztina Hoppal, The Roman Empire according to the Ancient Chinese Sources, Akademiai Kiado (Budapest), 2011)。玄奘は唐の時代だが、こちらはもっと前の時代。文献(『後漢書』、『魏略』、『晉書』、『魏書』、『宋書』)をもとに、ローマ帝国を指すとされるDaqin(大秦)に関し、その情報の精度について検証を試みている。2世紀から4世紀ごろの話になるので、当然いろいろな問題があるようで、まずもって大秦がローマ帝国そのものを指すのか、それともアンティオキア(シリア)あたりの東部のみを指しているのかが判然としないらしい(著者はどちらかというとこの後者の説を支持している)。文献によっても、また文脈によっても指しているものが違う場合もあるらしい。さらにその統治形態や住民、文化などについての情報も、中国に達した旅行者・商人などからの伝聞にもとづくものがほとんどで、情報取得のディテールや内容において正確さに乏しい。その割に大秦についての情報はなかなか複雑に記されているといい(想像的解釈?)、文化レベルが同等であるといったことが強調されているのだという。このあたり、史料そのものの説話的な意図なども勘案されなければならないように思うのだけれど、そういった点はあまり触れられていないようで、さらなる研究・検証が待たれるところか。