隷従的意志の問題へ……

Leviathan_by_Thomas_Hobbes表題につられて(笑)、ジュリア・ブロテア「中世人の肩の上に乗る−−『リヴァイアサン』における「人間」の研究」(Julia Brotea, Standing on the shoulders of medieval men: a study of ‘man’ in the Leviathan, Leviathan – Notes on Political Research, No.7, 2013)という論考を読んでみた。ホッブスの『リヴァイアサン』はもっぱら近代の黎明期の理論書という印象が強いけれど、それが中世以来の思想的伝統を踏まえた上で構築されているとしたら……そういう問題意識から、なんとここではアウグスティヌスの改宗を一つのモデルケースとして、ホッブスの人間観との共通性を探ってみようというのがその主旨。「中世人」をアウグスティヌスに代表させるのはどうかとか、いろいろツッコミどころもありそうだけれど、そのあたりをいったん括弧に括るなら、なるほどホッブズが描く人間像というのが、アウグスティヌスの改宗にいたる自己とどれほど近いと言えるのかというのは、案外面白そうな問題設定ではある。この論考の著者によれば、ポイントになるテーマは三つ。一つは死への恐れ、二つめは障害要因としての傲慢、そして三つめは隷従を求める意志だという。アウグスティヌスの中のそれらと、ホッブズの場合のそれらはもちろん細かな点では異なるわけだけれども、いずれにしてもそれらは両者が共有し、改宗と、リヴァイアサンへの信約の、構造的な要をなしているのだ、というわけだ。ま、さしあたりそれほど深みのある読解ではないのかもしれないけれど、これはもっと深化させられるのかもしれない。個人的にはこの三つめの自発的隷従の問題が、切実なテーマとしてとても気になるところ。ホッブズもさることながら、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシー(有名な「自発的隷従論」の邦訳(『自発的隷従論 (ちくま学芸文庫)』)も先頃文庫で出ていたのだっけね)などをも引き込んで、さらにはアウグスティヌスより以前の意志論とか、中世の神学的文脈での意志の問題とかをも視野におさめつつ、隷従的意志をめぐる縦断的な思想史が書かれてほしいところだ。