先日の近藤和敬『数学的経験の哲学』の一節に、長い伝統としてあった「数は単位である」という立場が覆され数の概念が刷新されるのが16世紀だったとする部分があった(p.127)。つまり「数は単位である」から「単位とは数である」へと考え方が大きく変換するというのだ。なるほど、ここで確かに先に挙げたクザーヌス(15世紀)の『推測について』などを見ても、数を単位として扱う立場が前面に出されている(第二章)。そこでは数が、推測をなすための原理であり、またそれに先立つものがなく、さらに単位から構成されるもの、というふうに言明されている。たとえば3という数は三つの単位(1ということか)から成るとされる。けれどもその数はそれ自体一つとして、いわば三位一体的に理解されなくてはならず、そこに縮減された三位一体性、もしくは一体三位性が見出されなくてはならない、とクザーヌスは言う。それがその数字の本質というわけなのだが、それこそがまさに思惟の第一のモデルをなしてもいるのだという。ややこしいが、いずれにしてもそこでは数が他から自立した一種の系(あるいは列)を形作るものと考えられているかのようで、数自身が分割されるようなことはない。これに対して、上の近藤本の一節で紹介されているシモン・ステヴィン(16世紀のフランドルの数学者・自然学者。小数の表記を考案したことでも知られる)の『算術論』(L’arithmetique, 1585)では、数は事物の量を表すものであり(”Nombre est cela, par lequel s’explique la quantité de chascune chose.”)、単位もまた数であるとされている。論証はこんな感じ。「同じ素材の部分は全体と同じである。単位は複数の単位の部分をなす。したがって単位は複数の単位と同じ素材から成る。ところで複数の単位の素材とは数である。したがって単位の素材は数である」。このほか、同じくステヴィンの『十分の一』(Disme英語版:1608)(オリジナルは1585)でも、冒頭に同様の定義が示されている(ちなみにこれらも含むステヴィンの著作は“Wonder, not miracle”というサイトにまとめられている)。もはや数は自立した系ではなく、量を表す指標(上記の近藤本)にすぎず、それ自体もまた分割の対象となりうるかのように扱われる。
エリザベス・ジェイン・グレン「中世数学の伝達とゴシック建築の起源」(Elizabeth Jane Glen, The Transmission of Medieval Mathematics and the Origins of Gothic Architecture, Senior Honors Thesis, Sweet Briar College, 2005)という論考をざっと見。(1)イスラム圏の数学の発展、(2)イスファハンの金曜モスク、(3)アラビア数学流入前の西欧の職人的伝統、(4)シャルトルの大聖堂、(5)数学技法の伝達などを取り上げた論文。個人的には、とりわけ(1)と(3)が注目される。(1)では、フワーリズミー(9世紀)による代数学の確立(『約分と消約の書』)とヒンドゥーの数字表記の採用に触れたあと、10世紀の天文学者アブー・アル・ワファによる三角法への代数の応用が取り上げられている。『書記や商人にとって代数学の何が必要かに関する書』『職人にとって幾何学的建設の何が必要かに関する書』などがあるといい、それらの書は職人たちや金曜モスクの建設に影響を与えているらしい。さらに11世紀のセルジューク朝のウマル・ハイヤームの応用数学が言及されている。この人物も金曜モスクの建造に数学的検証関与しているのではないかとされる。