また例によって多忙な月末。とはいえそんな中、分析哲学系の論集『自由と行為の哲学』(門脇俊介、野矢茂樹編・監修、春秋社)を読み始める。メルマガのほうでドゥンス・スコトゥスの意志論を見ているせいか、このところ現代的な文脈での意志論・自由論にも改めて関心が向いてきていたところ。そんわけで同書。ストローソンほか六人の論者による八つの論考を、監修二人、訳者八人でまとめ上げたアンソロジーの力作。なかなか濃い内容のようで、見るからに壮観だ。最初の野矢氏の序論が全体のトーンや論点を紹介していてとても参考になる。で、まだ第一章のストローソンを読みかけなのだけれど、とりわけ第二章のフランクファートの選択可能性(ある行為が成立した背後に、別の行為の可能性があったというもの)議論が個人的には興味深そう。序論によると、フランクファートは自由の核心を選択可能性ではなく、行為者性に置くのだという。選択可能性に近い発想はスコトゥスの偶有論にもあって、過去や現在を決定済み、未来を未決定(つまり偶有)と考えていたそれまでのアリストテレス哲学的な時間論を、偶有とは同時的な選択性であると喝破して、そういう決定・未決定の問題から切り離したのだという話(メルマガNo.181を参照)だったのだけれど、フランクファートの行為者性というのがどうもそういう決定性の話らしく、もしそうだとするとこれは、スコトゥスとのバーチャルな対話・議論さえ夢想できそうな気がしてくる(笑)。虚言妄言失礼……。