ヴァンサン・カロー本の続き。カローの中世についての議論はジルソンに立脚している部分が大きい。まずはアウグスティヌスの再読が進んだ12世紀。サン=ヴィクトルのアカルドゥスは、アウグスティヌスの「種子的ラティオ」という教義とそれに付随して用いられた「説明・開示(explicare)」という表現をもとに、「開示的原因(causa explicatrix)」という一種の作用因の概念を練り上げているという。一方、アベラールが「何もラティオなしには存在しない」と述べるとき、そこで考えられているラティオとは神の賢慮のことであって、アベラールとその一派への反論でペトルス・ロンバルドゥスなどが用いているという「理性的原因(causa rationalis)という言葉も、神の賢慮に適合すること、つまりは目的因を指しているのだという。ロンバルドゥスはその文脈においてラティオと原因(目的因)を同一視しているのだ、と。で、このラティオと目的因(形相因もそこに含まれる)の同一視は、その後スアレスの時代にまで長く受け継がれていく……。同一視される原因を作用因と解釈するのはあまりに大胆なものでしかなかった……。
とはいえ、作用因の意味の場も拡がらずにはいない。「無からは何も生じない」が「何もラティオなしには生じない」へと姿を変える過程で、副次的に動因が能動因へ、能動因が作用因へと変化していくのだという。アリストテレスの四因はストア派によってまとめられ、能動因となったが(本性と同一視される内在因)、中世はセネカなどを通じてその記憶を受け継ぎながらも(?)、内在因と外在因の混乱が生じたのだというが、実際にはアウグスティヌスに帰される影響関係などもあって、このあたりを切り分け整理するのはかなり難しいと著者は述べている。
セネカは「原因とはすなわちラティオである」(Causa id est ratio)と述べているというが、前後の文脈からはそれが原因=形相という意味であることがわかるようだ。では動因や能動因から作用因を区別するような話はどのあたりからあるのかというと、それは13世紀から。まずはアルベルトゥス・マグヌスに見られるという。で、著者はむしろその元となっているアヴィセンナの重要性を強調する。アヴィセンナは、能動因(ラテン語訳ではactus agensで、アリストテレスの作用因の訳として用いられているという)は運動の原理のみならず、存在の原理でもあるとしているという。もちろんアヴィセンナが関心を寄せているのは、運動の原理としての意味だというが、それでもなお、それまで存在を与えるとされていた形相因に代わって、モノの存在をもたらす役割を能動因に帰したのは、アヴィセンナが嚆矢だったという話だ。
存在の原理までも包摂するとされた能動因の意味的な拡張に「作用」(efficiens)因という用語を与え、意味の場(動因と存在因の二重性)を明確化したのは、西欧においてはオーヴェルニュのピエールだったという。オーヴェルニュのピエールの区別(さらにはアルベルトゥス・マグヌスの議論)があってこそ、調停とアレンジメント的な知性とされるトマス・アクィナスによるこの問題の採録もありえたのだと著者は力説する。とはいえトマスによる動因と作用因の区別はさほど明瞭ではなく、そこでの作用因の考え方にはある種の「神学化」がほどこされ、こうして作用因は存在因としての意味を強めていくことになる……。