フィロポノス『世界の永続性について』(Johannes Philoponos, De aeternitate mundi, vierter teilband, Brepols, 2011)はやっと11章まで。これも長い章だけれど、質料について述べている重要な箇所。注解のもとになっているプロクロスのテキストはこんな感じだ。質料は何らかの生成を受けるものである以上、質料は生成のためにあり、生成とともにある。つまりは質料は常に形相のもとにあるわけだが、質料そのものを考えれば、それはすべてのものの生成にとっての質料となる。質料そのものには別の質料などないのだから、それは生成したものではなく、また滅することもない。したがって質料のもとにある形相も、それが織りなす世界も永続する……。
フィロポノスはまず、物体が三つの次元に規定されていることを示し、その三つの次元はいわば性質をもたない物体、物体のよりどころとなる物体(物体性)であり、基体としての無定形の質料(非物体)より後に来て、四元素よりも先んじる(論理的に)ものと考える。無定形の質料はもとより変化しないものだけれど、その質料を基体として四元素が相互に変化し流転する(水から空気へ、空気から水へなどなど)とするなら、質料が三次元の規定を受けているからこそ性質を帯びるということになる。物体となっていなければそもそも性質を帯びることなどできないからだ。さらに、たとえば体積・容量の変化(水から空気の変化では、容積が膨らむとされる)では三次元の規定そのものが変化することから、その規定には生成・消滅がありうることになる。質料そのものを取り出せばそれは永続的だとしても、物体としての規定を受けた質料(形相と結びついた質料)には、かくして生成・消滅がありうる(ゆえに物体は、世界は永続するのではない、となるわけだが)。で、この話、実に様々な角度から検討されている。上の四元素との絡みや体積・容量の話のほかにも、質料が形相を受け取る場合の制約条件、分割可能性や個体、現実態と可能態などなど、繰り返し議論が続いていく。いずれにしてもフィロポノスの場合、この質料の次元的規定は生成の原理、アルケーとして描かれているようだ。西欧中世でもペトルス・ヨハネス・オリヴィなど、質料の次元的規定を考えている論者はいるけれど、フィロポノスのはかなり網羅的でかつ徹底している印象(?)。