中世の個々人の敬神

先のアーティクルでは、個別事例に降りていくことの重要性を改めてかみしめた感じだったけれど(笑)、なんというか、ある意味でそれとパラレルな動きは歴史学の世界でも起きているらしい。ジェニファー・コルパコフ・ディーン「中世の家庭内の敬神」(Jennifer Kolpacoff Deane, Medieval Domestic Devotion, History Compass, Vol. 11:1, 2013)という論文は、そのことを再認識させてくれる一編。教会系の史料は当然ながら制度化された組織を考察する上で重要だけれども、その一方で教会組織外の、いわば世俗の一般信徒の信仰がどんなものだったのかという問題がかつては軽視され続けてきた。これが近年、様々な史料の掘り起こしによって少しずつその隠れた問題が見えてくるようになった……とくに家庭における信心について。というわけで、同論文はそういう現状の総括と展望をまとめている。本来は家庭的なものだった初期教会は、後代にいたり(とくに中世盛期にかけて)権威をもった正式な教会組織に取って代わられていくわけだけれど、すると一般信徒の人々は、ある種の信仰上の空虚となった家庭内環境を、様々な工夫を凝らして埋めるようになっていくのだという。たとえば家具の類を聖職者によって祝福してもらうとか、家庭内での祈りの場を独自に設けるとか。それなどは聖遺物の信仰の高まりとも軌を一にしている動きらしい。13世紀から14世紀にかけてのロザリオの人気は、マリア信仰の高まりにも結びついている。定期的な祈りや十字を切るジェスチャーなどは、たとえば13世紀のジャック・ド・ヴィトリなどの説教でも称揚されているというし、15世紀の家庭内教育の手引き書(ドミニコ会のジョヴァンニ・ドミニチによる)には、家庭内にミニ祭壇を作ることが推奨されている、と。家庭内での信心は日常の食事の準備などにも影響しており(金曜は肉を食べないなど)、台所用品などにも霊的なアイデンティティは表されうるのだという……云々。

こうしてみると、ここで取り上げられている家庭内の信仰という問題は、近年の動向でもあった聖遺物や説教に関する諸研究、あるいはジェンダー研究などの成果にもとづいていることがわかる。個々人の敬神についても、今や様々な側面が明らかにされつつあるのだという。さらに今後の展望として同論文は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教でのそうした個人の敬神の比較研究、教会と家庭という聖俗二つの領域のオーバーラップについての再検討、さらには経年的な信仰状況の変化の検証などを挙げている。うーむ、思うに思想史的な面でも、なんらかの神学思想が世俗世界へとどう波及しているかなど、いろいろと興味の尽きないテーマを思いつけそうだ。もちろん、検証はとても難しい作業になるだろうけれども。

時祷書も忘れちゃいけない……というわけで、1410年ごろのパリの時祷書からの図像(wikipedia)
時祷書も忘れちゃいけない……というわけで、1410年ごろのパリの時祷書からの図像(wikipedia)