フィリップ・ブサラッキ「比較による異教徒たち:中世キリスト教・イスラム教の異教的「他者」の構築」(Philip Busalacchi, Pagans by Comparisons: Medieval Christian and Muslim Constructions of the Pagan “Other”, Perspectives: A Journal of Historical Inquiry, vol. 37, 2010)という論文を眺めた。ベーダ『イングランド教会史』(7世紀)、ヘンリクス・レットゥス『リボニア年代記』(13世紀)、イブン・ハルドゥーン『歴史序説』(14世紀)、バーブル『バーブルナーマ』(16世紀)という4つの文献をもとに、キリスト教とイスラム教がそれぞれ「異教徒」をどう見出していったかを検討しようというもの。一種の「他者論」というわけだ。ヘンリクスとバーブルは個人的に馴染みがないのだけれど、前者はドイツ騎士修道会の一員で、異教徒の改宗とバルト海一帯にキリスト教帝国を創設する目的でリボニア(現在のラトビア、エストニア)に派遣され、そこで上の年代記を記した人物だという。バーブルはムガル帝国の初代皇帝で、インドに侵攻した人物。その自叙伝が上記の『バーブルナーマ』なのだそうな。論文の前半は異教徒の認定根拠がテーマ。基本的にこれら4つの文献では、扱う相手の異教徒はそれぞれ異なるものの(ベーダの場合は改宗前のブリトン人、ヘンリクスではバルト海一帯の原住民、ハルドゥーンではイスラム化以前のベドゥイン、バーブルではヒンドゥー教徒)、異教徒と自分たちを区別する基準として儀礼や信仰を表す外的なサイン(身振りや行動など)などが使われているという。ただ、彼らは一様に異教徒を文明化していない未開人として上から目線で見ているともいい、その蔑視の根拠が問われることになる。
経済学関連というか、ちょっと毛色の変わった論考を見てみる。ウルリッヒ・ブルム&レオナード・ダドリー「ラテン語の標準化と中世の経済発展」(Ulrich Blum & Leonard Dudley, Standardized Latin and Medieval Economic Growth, Université de Montréal, 2003)(PDFはこちら)というもの。中世盛期(1000年以後)の一人当たりの収入の伸びについて、従来の学説では(1)ヴァイキングなどの侵略の消失、(2)長距離貿易の拡大(ピレンヌ説)、(3)封建制度の確立(ノース説)などが理由として挙げられているというが、それぞれに瑕疵あるとされる。で、同論文はこれに対して一種の情報技術の変革が寄与したという立場から、当時の経済成長を再考しようとする。なるほど、そうした着眼点はすでに50年代のハロルド・イニス(マクルーハンの師匠だった人物)にあり、イニスはコミュニケーション媒体の変化が中世の経済成長を加速化させたという説を唱えていたが、そこでの媒体というのはカロリンガ風書体だとされ、状況証拠的な議論で検証を欠いていた。で、この論文はもう少し広く、情報技術という観点からそのあたりの議論を捉え直そうとする。つまりこの場合の情報技術とは、書体にのみとどまらず、カロリンガ朝ルネサンスによってもたらされたラテン語の書き言葉・話し言葉の標準化のこととされている。
フランシスコ会が初期の素朴かつ清貧な修道会から一大勢力となっていく過程というのはとても興味深いものだろうと思うのだけれど、そうした過程へのアプローチの一端として、フランシスコ会に属し同会派の年代記作家としても知られるサリンベーネ・ディ・アダム(またはパルマのサリンベーネ)を扱った論文を読んでいるところ。ロバート・C.ジェイコブズ「サリンベーネ・ディ・アダムの年代記を用いた、13世紀北イタリア都市内でのフランシスコ会士の位置づけ」というもの(Robert C. Jacobs, Locatiing the Franciscans within the Cities of Thirteenth Century Northan Italy, Using the Chronicle of Salimbene de Adam, Thesis, University of Winnipeg, 2007)。まだざっと前半を見ただけなのだけれど、このサリンベーネという人物もなかなか人間臭くて面白そうだ。世俗の人々をも含む様々な人物との幅広い交友関係があったようで、著書の『年代記』は当時(1167年から1287年までを扱っているという)の会派内の論争や日常生活を丹念に報告しているという。一方でフィオーレのヨアキムから多くの影響を受け(とくにヨアキムがフランシスコ会派を「第三の時代」の予兆だとした点は、サリンベーネ本人のフランシスコ会への入信を強く後押ししたようだ)、『年代記』には随所にその言及があるという。もっとも、サリンベーネ自身は後になってヨアキムへの傾倒を否定し、批判を加えているらしい。また、サリンベーネはペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』には色々な誤りがあるとして、ヨアキムほど過激な態度ではないにせよ(ヨアキムはロンバルドゥスは異端だと主張していたという)、そうした問題点を列挙していたりもするそうだ。