『パイドン』を復習してみる

少し前からLoeb版でプラトンの『パイドン』を通読してみた。今回はちょっと今取り組んでいる霊魂可滅論の系譜とのからみでの読み直し。で、改めて思うのは(以前に岩波文庫版で通読したころがあるけれど)『パイドン』はやっぱりいろいろな意味で面白いなあという感慨。作中のソクラテスが霊魂不滅論の証明として示すのは、まず一つは事物が必ず反対物から生まれるという話(これって後のイデア分有説と矛盾しないの?)。もう一つはいわゆる想起説からの推論。どちらもまあ、ざっくばらんに言えば証明にはなっていないのだけれど(笑)、その後に出てくるシンミアスの反論というのがなかなか興味深い。彼は「調和(ハルモニア)」が楽器から生じているものであり、楽器が滅びてしまえば調和も失われてしまうとの認識から、同様に魂も身体との緊張関係にあって、一種の調和のごとくに統合されているものだと考えている。そのため、身体が不調に陥り滅びる際には魂もまた滅びざるをえないのではないか、下手をすると身体よりも前に魂は滅びるのではないかと反論するのだ。これにソクラテスはどう対応するかというと、カウンターアーギュメントを出すのではなく(そもそもそれは難しいと思われる)、少し肩すかしっぽいのだけれど(笑)、魂が身体よりも以前から存在していたことをシンミアスに認めさせ、それと魂=調和説が矛盾する点を追求して、調和説を撤回させている。。でも注目される点は、シンミアスがその撤回の弁において、魂=調和説、つまりは霊魂可滅説を、「証明はなくとも、もっともらしいがゆえに、多くの人が信じている」と述べている点だ。ソクラテスが説くような霊魂不滅論は当時においてはマイナーなものだった、ということか。

シンミアスに続いてケベスも反論しているけれど、こちらは基本的に魂の存続を認めた上で、身体への出入りを繰り返す魂は摩耗するのではないかという説を表明している。ソクラテスはこれに対して、生成・消滅の一般論、つまり自然学との自分の関わりを批判的に語り出していく。で、そこから分有論(個々の事物は、大元のイデアを分有するという考え)へと話を拡大し、たたみかけるような語りでもってイデアとの類推から魂は不死であるという類推へともっていく。対話相手たちは、なにやら煙に巻かれたような感じで(笑)、やや強引にすぎる(と言ってしまおう)その議論を追認してしまう……。このあたりの語りの脈動感はなかなかのものなのではないかと思う(個人的にそこまでちゃんと読めてはいないのだけれど……苦笑)。

参考:
パイドン―魂の不死について (岩波文庫)