前回挙げたバルベルデの論考には、カルダーノ『魂の不滅について』に列挙された反・不滅論の数々を、カルダーノ本人の見解と見なすという「誤解」が、同時代的にすでにあったという実例として、メルセンヌなどのほか、『復活のテオフラストス』(Theophrastus redivivus)という逸名著者による文献が挙げられている。表題の一部にもなっている自称「復活のテオフラストス」なる人物の著書だというそれは、フランス国立図書館所蔵のものなど四冊しか現存していない17世紀の大部な著作だ。これについてのガイドとして、ジュスティーヌ・ル・フロックの「『復活のテオフラストス』:1659年の逸名手稿本への序」(Justine Le Floc’h, Theophrastus redivivus. Introduction à un manuscrit clandestin du XVIIe siècle, Lurens, 2011)(PDFはこちら)という文書を見てみた。カルダーノの書が霊魂不滅論への反論のカタログだったのと同様に、この書もまた、無神論の系譜についての網羅的なカタログになっているらしい。というか、キリスト教に反対する教義の数々を史的にまとめ上げたものなのだという。そこではカルダーノもそうした著者の一人と見なされているようだ。表向きは、キリスト教神学者が反論する際の、有益な道具にしようというのが編纂意図だとされているのだそうだが、それが口実ないし隠れ蓑だとの解釈も(当然のように)根強くある。同論考では、トマソ・カンパネッラがキリスト教に反対する諸説をよりよく叩くためとの口実で刊行した『打ち負かされし無神論者(Atheismus triumphatus)』(1631年)が、そうは受け止められず糾弾の対象となったことを例として挙げている。その意味では、この『復活のテオフラストス』も、カルダーノの著書も、まったくもって危うい橋を渡っているというわけだ。そういえば、それ以前のパルマのブラシウスなどもやはり同様と言えるかもしれない。
面白いのは、同小論がとくに言及している、手稿本の扉に口絵として描かれた「系譜図」。そこでは、もとのテオフラストス(エレソスの)を中心に、プロタゴラス、デイアゴラス、キュレネのテオドロス、エウヘメロスが挙げられ、そこから二つの系譜が分かれている。一方にはプラトン、エピクロス、キケロ、プリニウス、ガレノス、もう一方にはアリストテレス、ルクレティウス、セネカ、ルキヌス、セクストゥス・エンペイリコスの名が連なる。いずれも、17世紀当時の自由思想家の参照元で、その一番下には、ポンポナッツィ、カルダーノ、ボダン、ルチリオ・ヴァニーニに囲まれて、復活のテオフラストスが配置されているという趣向だ。無神論とまではいかずとも、汎神論的なセクトは色々あったはずの中世が、すっぽり抜け落ちているところがなにやらまた興味深い(笑)。ちなみに、この図を含むフランス国立図書館所蔵の手稿本はGalicaで公開されている。でもこれ、図はともかく本文を読むのはちょっとしんどいかも。やはり、上の論考の末尾に文献として挙げられている校注本(Theophrastus redivivus, éd. critique par Guido Canziani et Gianni Paganini, Florence, La Nuova Italia, 1981, 2 vols)を手に入れたいところだ。