またまたダニエル・アラスの著作から、『ギロチンと恐怖の想像領域』(Daniel Arasse, La guillotine et l’imaginaire de la Terreur, Flammarion, 1987-2010)を読んでいるところ。まだほぼ前半。タイトルの通り、これはギロチンにまつわる表象史の試み。罪人の処刑方法(斬首や八つ裂きなど)が残忍だとされた18世紀に、もっとスピーディに苦痛もなく処刑ができる方法として考案されたのがギロチンで、提唱者のギヨタンはその「人道的」な面を強調していた。装置の原型はもっと古いようで、15世紀から16世紀のイタリアにはその古形があったというし、12〜13世紀のナポリほかに同じような装置があったとも言われる。けれどもやはり面白いのは、当初唱えられた人道性に反して、ギロチンが恐怖の対象となっていったその有様だ。処刑のあまりの迅速さや、斬首後に首がまだ動いているという光景、さらにそこから類推される、受刑者が進行中のみずからの死を認識できているのではないか、身体というのはやはり機械論的なものにすぎないのではないか、といった発想が、その装置のイメージを一挙に貶めていく。一方では、医学的な身体での機械論が政治的身体へと接合されて、頭部としての王の不要論へと繋がっていき、やがては王の斬首を準備することにもなる……。
で、それに関連してというか、ちょっと古いけれど、これまた興味深い論文を見てみた。デヴィッド・キング「中世イスラム文献によるアストロラーベの起源」(David A. King, The Origin of the Astrolabe According to the Medieval Islamic Sources, Journal of the History of Arabic Science, Vol. 5, 1981)。古代からの天文観測機器であるアストロラーベは、発明者などは未詳とされているわけだけれど、アラブ世界の文献からその語源や発明についての言及を集めたもの。わずか数ページの序文でさえ、すでにいろいろと面白い指摘がなされている。アラブ世界ではastrulabと言い、初期のアラビア語文献では、これが「星を取る」という意味だと説明されているという(星を表すギリシア語のἄστρονに「取る」を意味するλαμβάνεινの過去形の語根がついたものというギリシアでの解釈に対応するものだ)が、ほかにも「太陽の均衡」とか、「太陽の鏡」などを意味するといった説もあったという。発明者についても、イドリス(預言者エノク)の息子ラーブであるという話があるものの、これは完全なフィクションで、少し下ったほぼ同時代の別の論者による批判もあるのだとか。astrulabを「ラーブの線描」の意味だとする民間語源もあるといい、また、ラーブをヘルメスの子とする話もあるそうで、このあたり、説話論的にもとても興味をそそる現象だ。さらにはプトレマイオスがアストロラーベの考案者だという話もあって(これもフィクション)、面白い逸話になっている。天球儀をもって動物の背中に乗っていたプトレマイオスが、その天球儀を落としたところ、動物がそれを踏みつぶし、できたのがアストロラーベだった、と(笑)。ほかにもヒッパルコスが考案者だという話もあり(タービット・イブン・クーラによる)、実際ヒッパルコスの時代には立体射影がすでに知られていたともいうのだが、この話を紹介する文献には上のラーブの話も載っていたりするそうで(つまりはギリシアがその文献の出典元ではないということになる……)、このあたりの錯綜感もまた、なにやら説話的に気をそそる。
ロリー・コックス「トマス・アクィナスまでの歴史的「正義の戦争」理論」(Rory Cox, Historical Just War Theory up to Thomas Aquinas, Oxford Handbook of the Ethics of War, Oxford Univ. Press, (forthcoming))という論考を見てみた。「正義の戦争」論は古代ギリシアから綿々と受け継がれてきた西欧的な戦争の倫理的正当化論で、同論考はこれを中世まで通史的に取り上げた概説なのだが、これがなかなか興味深い。日本にあっては、ある意味タイムリーかもしれない。まとめとして有益だと思うのでとりあえず内容をかいつまんでメモしておく。まず古代ギリシアにおいては、非ギリシア人は本性的な敵であるとされ、それに対する戦争は直ちに正当なものとされる一方、ギリシア人同士の戦争は本性に反するという意味で謀反と一括された(プラトン『国家』)。次いでこれを引き継ぐ形で、コミュニティと共通善の擁護のためのいわば自衛の戦争が正当化される(アリストテレス『ニコマコス倫理学』)。一方で帝国的な領土拡張の戦争も大目に見られている……このあたりは奴隷の正当化と同様だ。これと、主にストア派に由来する自然法の考え方がローマに受け継がれ、平和の回復としての正義の戦争という解釈が唱えられる(キケロ『義務について』『国家について』)。正義の戦争はキケロにより(1)自衛、(2)損害の修復、(3)不正への処罰を条件として既定される。帝国の領土拡張もまた、国家の栄光という意味で容認されているという。
ここまでは「戦争に向けて(開戦前)の法」(jus ad bellum)は問われても、「戦争における(戦時下の)法」(jus in bello)はあまり問われていない。けれども時代が下ってくると、この後者が徐々に問題になってくる。教会法を整備したグラティアヌス(12世紀)は、教会が宣言する戦争も世俗の権威が起こす戦争と質的な違いはないとし、キケロ的な伝統(イシドルスを経由)やアウグスティヌスにもとづいた正当化を行っている。13世紀の教会法学者たちになると、さらに暴力行為の序列を考察するようになり、戦争における法(戦時下の行動)についての議論が重要視されてくる。それを体系化するのがトマス・アクィナスで(『神学大全』)、正しい意図という議論が前面に出てくる。自然法的な戦争の正当化を論じれば、敵側にも同じような正当化を認めなくてはならなくなり、するといかなる倫理的行為であろうと、善悪の両方の結果をもたらす場合があるという認識が必要になる。そのネガティブな結果を正当化するのは、意図の正しさでなくてはならない、というわけだ。