エウクレイデス(とプロクロス)

Greek Mathematical Works, Volume I: Thales to Euclid (Loeb Classical Library)先のアルキメデスに続き、今度はエウクレイデスの『原論』をごく一部だけれど、同じくLoeb版の『ギリシアの数学著作集』(Greek Mathematical Works, Volume I: Thales to Euclid, Loeb Classical Library, Harvard Univ. Press, 1939-98)で読んでみた。例によって、なにやら解せない部分も多い。プロクロスの注解など他の文献の抜粋なども収録されていたりして、『原論』が扱っている問題の広がりはイメージできるものの、中味はかなりわかりにくい。とくに、これこれの証明は何のためにやっているのか、というあたりがとてもわかりにくい(苦笑)。

ユークリッド『原論』とは何か―二千年読みつがれた数学の古典 (岩波科学ライブラリー)……というわけで、とりあえず全体の見通しを立てる(あるいは補助線を引く)意味もあって、アルキメデスの概説に続き斎藤憲『ユークリッド『原論』とは何か―二千年読みつがれた数学の古典 (岩波科学ライブラリー)』、岩波書店、2008-2013を読み始めたのだけれど、そうしたわかりにくさの正体の一端が見事に解説されていてとても有益だ。たとえば二章め。上のLoebの選集には入っていないけれど、『原論』第一巻は最初の命題1が正三角形の作図、命題2と3は点と線がそれぞれ与えられとき、点を起点とし、その与えられた線と同じ長さの線を作図する問題、そして命題4で二辺夾角が等しい三角形は合同という条件の論証となるのだとか。プロクロスなどはこの命題1が何を意味しているのか掌握しきれずに、「三角形が存在することの証明なのだ」として、注解に二等辺三角形や不等辺三角形の作図方法まで載せているという(笑)。さらに命題4より前の証明は不要だとも説いているらしい。けれども著者によると、この命題3までの論証は、「直線の移動、重ね合わせという、三角形の合同条件を証明するために不可欠な操作を保証するための、最小限でまったく無駄のない準備だった」(pp.38-39)のだという。

命題に入る前の最初の「定義」に続く「要請」部分は、あらかじめ承認すべきことが列挙されていて、その冒頭には「点から点へ直線を引くこと」「円を描くこと」などがあるのだが、これについて同書は、パルメニデスが始祖とされるエレア派の、運動をすべて否定する考え方による批判を予め牽制したものではないかという説を紹介している。その点についても、「運動の可能性を命題でわざわざ証明することはプロクロスには思いつかなかった」(p.39)のではないか、と記している。プロクロスは「要請」での直線や円の作図保証を、点の運動によって直線や円が生成することを記述したものと捉えているようだという(同)。エウクレイデスのはるか後世のプロクロスにとっては、もはや運動は当たり前のことで、エウクレイデスがもしかしたらエレア派に対して張ったかもしれない予防線になど、とうてい思い至らないようだというわけだ。そういう話を聞くと、逆にプロクロスの注解が俄然面白そうにも思えてくる(笑)。

美術史家のギロチン考

La guillotine et l'imaginaire de la Terreurまたまたダニエル・アラスの著作から、『ギロチンと恐怖の想像領域』(Daniel Arasse, La guillotine et l’imaginaire de la Terreur, Flammarion, 1987-2010)を読んでいるところ。まだほぼ前半。タイトルの通り、これはギロチンにまつわる表象史の試み。罪人の処刑方法(斬首や八つ裂きなど)が残忍だとされた18世紀に、もっとスピーディに苦痛もなく処刑ができる方法として考案されたのがギロチンで、提唱者のギヨタンはその「人道的」な面を強調していた。装置の原型はもっと古いようで、15世紀から16世紀のイタリアにはその古形があったというし、12〜13世紀のナポリほかに同じような装置があったとも言われる。けれどもやはり面白いのは、当初唱えられた人道性に反して、ギロチンが恐怖の対象となっていったその有様だ。処刑のあまりの迅速さや、斬首後に首がまだ動いているという光景、さらにそこから類推される、受刑者が進行中のみずからの死を認識できているのではないか、身体というのはやはり機械論的なものにすぎないのではないか、といった発想が、その装置のイメージを一挙に貶めていく。一方では、医学的な身体での機械論が政治的身体へと接合されて、頭部としての王の不要論へと繋がっていき、やがては王の斬首を準備することにもなる……。

いずれにせよ、称揚されるものに必ず付随する負の側面が予想を超えて拡大していく様を示す実例として、ギロチンはとても興味深い対象なのだなということがよくわかる。それにしてもその古形というのが気になってくる……(笑)。後半はまだちらっと見てみただけだけれど、処刑台が新たな神殿・新たな宗教のようになっていく様や、文字通りの舞台装置としての公開処刑、さらには斬首のポートレートの話など、装置の周辺へと広がっていく想像領域がそれぞれ取り上げてられているようだ。

アストロラーベの語源・起源?

今週は印刷博物館の「ヴァチカン教皇庁図書館展II – 書物がひらくルネサンス」を観てきた。教皇庁図書館を描いたプロジェクション・マッピングの上映がなかなかよくできたアトラクションになっていた。展示自体は初期印刷本の数々(聖書、様々な古典)を中心としていてある意味地味なのだけれど、そのせいか同アトラクションこそが動的な見所という感じで異彩を放っている(笑)。でも展示の中にも、たとえばペトルス・アピアヌスの『コスモグラフィア』など(これは印刷博物館所蔵)があって、書物の中での動的世界を想像させるものも必ずしもないわけではない……と。

で、それに関連してというか、ちょっと古いけれど、これまた興味深い論文を見てみた。デヴィッド・キング「中世イスラム文献によるアストロラーベの起源」(David A. King, The Origin of the Astrolabe According to the Medieval Islamic Sources, Journal of the History of Arabic Science, Vol. 5, 1981)。古代からの天文観測機器であるアストロラーベは、発明者などは未詳とされているわけだけれど、アラブ世界の文献からその語源や発明についての言及を集めたもの。わずか数ページの序文でさえ、すでにいろいろと面白い指摘がなされている。アラブ世界ではastrulabと言い、初期のアラビア語文献では、これが「星を取る」という意味だと説明されているという(星を表すギリシア語のἄστρονに「取る」を意味するλαμβάνεινの過去形の語根がついたものというギリシアでの解釈に対応するものだ)が、ほかにも「太陽の均衡」とか、「太陽の鏡」などを意味するといった説もあったという。発明者についても、イドリス(預言者エノク)の息子ラーブであるという話があるものの、これは完全なフィクションで、少し下ったほぼ同時代の別の論者による批判もあるのだとか。astrulabを「ラーブの線描」の意味だとする民間語源もあるといい、また、ラーブをヘルメスの子とする話もあるそうで、このあたり、説話論的にもとても興味をそそる現象だ。さらにはプトレマイオスがアストロラーベの考案者だという話もあって(これもフィクション)、面白い逸話になっている。天球儀をもって動物の背中に乗っていたプトレマイオスが、その天球儀を落としたところ、動物がそれを踏みつぶし、できたのがアストロラーベだった、と(笑)。ほかにもヒッパルコスが考案者だという話もあり(タービット・イブン・クーラによる)、実際ヒッパルコスの時代には立体射影がすでに知られていたともいうのだが、この話を紹介する文献には上のラーブの話も載っていたりするそうで(つまりはギリシアがその文献の出典元ではないということになる……)、このあたりの錯綜感もまた、なにやら説話的に気をそそる。

wikipediaより、16世紀のアストロラーベ
wikipediaより、16世紀のアストロラーベ

古代から中世までの「正義の戦争」論

ロリー・コックス「トマス・アクィナスまでの歴史的「正義の戦争」理論」(Rory Cox, Historical Just War Theory up to Thomas Aquinas, Oxford Handbook of the Ethics of War, Oxford Univ. Press, (forthcoming))という論考を見てみた。「正義の戦争」論は古代ギリシアから綿々と受け継がれてきた西欧的な戦争の倫理的正当化論で、同論考はこれを中世まで通史的に取り上げた概説なのだが、これがなかなか興味深い。日本にあっては、ある意味タイムリーかもしれない。まとめとして有益だと思うのでとりあえず内容をかいつまんでメモしておく。まず古代ギリシアにおいては、非ギリシア人は本性的な敵であるとされ、それに対する戦争は直ちに正当なものとされる一方、ギリシア人同士の戦争は本性に反するという意味で謀反と一括された(プラトン『国家』)。次いでこれを引き継ぐ形で、コミュニティと共通善の擁護のためのいわば自衛の戦争が正当化される(アリストテレス『ニコマコス倫理学』)。一方で帝国的な領土拡張の戦争も大目に見られている……このあたりは奴隷の正当化と同様だ。これと、主にストア派に由来する自然法の考え方がローマに受け継がれ、平和の回復としての正義の戦争という解釈が唱えられる(キケロ『義務について』『国家について』)。正義の戦争はキケロにより(1)自衛、(2)損害の修復、(3)不正への処罰を条件として既定される。帝国の領土拡張もまた、国家の栄光という意味で容認されているという。

ローマ時代の初期キリスト教においては、ローマの軍役への信徒の参加問題が大きなテーマをなしていた。テルトゥリアヌスやオリゲネス(3世紀)は軍役を避けがたいもの、潜在的には正当でありうる活動と見なしていた。ミラノのアンブロシウス(4世紀)は、キケロの議論とキリスト教神学を組み合わせ、倫理的に許容されうる戦闘行為を規定した。ギリシア・ローマの伝統的な戦争の考え方には、ベースにはやはり自然法に則った「自己保存」の権利という概念があったが、アンブロシウス時代のキリスト教においては、自己を守るために他者に暴力を働くことは、精神的な健全さという意味で問題があるとされた。アウグスティヌスになると、現世の統治の不完全さゆえに、戦争は不可避であるという見解を示すようになる。さらに、旧約聖書をもとに、戦争が正義のための手段になりうるという議論も示される。正義の戦争の条件として、適切な権威、正当な大義に加え、正しい意図(慈悲の心)が必要とされる。

ここまでは「戦争に向けて(開戦前)の法」(jus ad bellum)は問われても、「戦争における(戦時下の)法」(jus in bello)はあまり問われていない。けれども時代が下ってくると、この後者が徐々に問題になってくる。教会法を整備したグラティアヌス(12世紀)は、教会が宣言する戦争も世俗の権威が起こす戦争と質的な違いはないとし、キケロ的な伝統(イシドルスを経由)やアウグスティヌスにもとづいた正当化を行っている。13世紀の教会法学者たちになると、さらに暴力行為の序列を考察するようになり、戦争における法(戦時下の行動)についての議論が重要視されてくる。それを体系化するのがトマス・アクィナスで(『神学大全』)、正しい意図という議論が前面に出てくる。自然法的な戦争の正当化を論じれば、敵側にも同じような正当化を認めなくてはならなくなり、するといかなる倫理的行為であろうと、善悪の両方の結果をもたらす場合があるという認識が必要になる。そのネガティブな結果を正当化するのは、意図の正しさでなくてはならない、というわけだ。

……というわけで、同論考は、古典時代から初期教会、中世盛期にいたるまで、戦争に関する倫理的議論の豊かな伝統があったことを示してみせる。トマスはある意味、「開戦前の法」と「戦時下の法」とが表裏一体であることを説いているといい、実際当時の議論においては、戦闘員の行動を「正しい意図」で縛ることと、高位聖職者などの権威者らによる開戦そのものの制限の問題とは、相互に分かちがたく絡み合っているのだという。そこから一連の高度な、複雑な倫理的思想が生み出されていったのというのだが、さて、では今日のどこぞの国は、そのような洗練された議論を生じさせることが果たしてできるのだろうか……?