オッカムの「本質主義」?

L'essentialisme De Guillaume D'ockham (Etudes De Philosophie Medievale)ちょっと毛色の変わった研究を、序文と結論部だけ先にざっと見てみた。マガリ・ロック『オッカムのウィリアムの本質主義』(Magali Roques, L’essentialisme De Guillaume D’ockham (Etudes De Philosophie Medievale), Vrin, 2016)というもの。オッカムのウィリアムはなんといっても本格的な唯名論の嚆矢なので、たとえば事物の共通本性などを心的な像もしくは概念に帰してしまうため、一般にそこで「本質主義」が云々されることはまずなかった(と思う)。つまり、複数の個物が同一視される場合、それは、そうした個物を同一視する者の概念的な理解を介在するがゆえなのであるとされる。そのため、個物になんらかの共通な本性・本質が備わっていると見なすのかどうか、というあたりのオッカムの議論というのは、ほとんど取り上げられていない(というか、そもそも改めて取り上げる価値がないとされてしまう?)印象が強い。ところがこの研究では、現代哲学の本質主義、あるいはアリストテレスの現代的な解釈(クワイン、クリプキ、キット・ファインなど)を一端経て、それらとオッカムの「現実的定義」なるものに注目し両者を照らし合わせることで、いわばこれまで明るみに出てこなかったオッカムの「最小限の本質主義」みたいなところに光を当ることを、大胆にも試みているという次第なのだ。中世哲学プロパーな議論ではないことも含め、方法論的にどうなのかという疑問もないではないが、例によって議論の詳細はまだ追っていないので、さしあたりそのあたりはコメントできない。時間が取れるようになったら確認したいところではあるけれど。

アナロギア小史

Les Theories De L'analogie Du Xiie Au Xvie Siecle (Conferences Pierre Abelard)先に挙げたエックハルト論と同じく、ソルボンヌでの講演にもとづく刊行シリーズから、ジェニファー・アシュワース『12世紀から16世紀のアナロギア理論』(E. Jennifer Ashworth, Les Théories de L’analogie du Xiie au Xvie siècle (Conférences Pierre Abélard), Vrin, 2008)というのを見てみた。100ページほどの小著ながら、なかなか深い内容なのだけれど、例によって、このところちょっとまとまった時間が取れないので、ザッピング的に荒っぽい読み。中世において「アナロギア」概念の受容と拡大の最初の契機は、これまた12世紀にアラビア文献(アヴィセンナ、アヴェロエス、アル=ガザーリーなど)でもたらされた「帰属のアナロギア」概念にあるという。アナロギア(類比)はもともと語がもつ微妙な曖昧さを、一意性と両義性の中間というかたちで捉えようとするもので、ここから、或るものが他のものと同属である(一方が他方に従属している)、あるいは両者は先行・後続の関係にあるという意味で両者が「似ている」とされる場合に、「アナロギア」の関係が論じられることになったのだという。トマスなどが言う存在の類比などもこの場合に相当し、存在者(有)という概念はそうした帰属のアナロギアに位置づけられる。

その後、今度は比例関係によるアナロギアが登場する(文字通りの「類比」だ)。15世紀のカエタヌスにおいては、それが唯一の真のアナロギアだとされるという。そちらの場合は異種同士であってもよく、それらが同じ機能・役割・状態などを担っていること(たとえば海の「凪」と風の「無風」、線上の点と数における単位)をもって「似ている」とする場合だ。もとになっているのはアリストテレスで、そのラテン世界への翻訳過程で、それらについての考察も深められていったという経緯があるようだ。上のカエタヌスは、帰属のアナロギアは意図(intentio)のみによるアナロギアであって、存在によるアナロギアではないとし、一方の比例のアナロギアは意図と存在の両方によるアナロギアだとしているという。意図とはこの場合、思い描きの性向のような意味らしく、概念という訳語が当てられたりもする。カエタヌスよりも前に比例のアナロギについて言及している論者としては、トマス・サットン(ドミニコ会士、14世紀)がいるとされる。また15世紀のトマス・クラクストン(ドミニコ会士)も挙げられている。

さらに、カエタヌスの論に対する反応としては、ドミンゴ・デ・ソト(16世紀)が比例のアナロギアをさらに下位区分し、フランシスコ・デ・トレドもその説を踏襲しているほか、イエズス会のフランシスコ・スアレスがそのアナロギアにメタファーが含まれるという観点を認めているという。ペドロ・ダ・フォンセカはそれが帰属のアナロギアと結びつくと主張し、さらにアナロギアの議論の集大成をなした人物としてアントニオ・ルビオ(16世紀末から17世紀)の名が挙げられている。

『生成消滅論』注解小史の流れ

ずいぶん前に囓りかけて中断していた、ビュリダンによる『生成消滅論』への注解書をまた改めて読んでいこうと思っているのだけれど、少し前にそのための参考書になるものを探してみたところ、ヨハネス・ティッセン「アリストテレス『生成消滅論』注解の伝統序文」(Johannes M.M.H, thijssen, The Comentary Tradition on Aristotle’s De generatione et corruptione. An Introductory Survey, The Commentary Tradition on Aristotle’s De generatione et corruptione, Brepols, 1999)というのを見かけた。で、ようやくこれにざっと目を通すことができた(残念ながら、このPDF、現在はダウンロード不可のようだ)。『生成消滅論』の注解については、アリストテレスのほかの著作に比べると研究が少ないようで、この序文ではまずアリストテレスのもとのテキストの要約・紹介し、続いてあまり現存するものがないというギリシアの注解の伝統について触れ、中世のラテン語訳(いわば旧訳。クレモナのゲラルドゥス、ピサのブルグンドゥス、メルベケのウィリアムの三つの訳があるという)、1400年から1600年ごろイタリアとフランスで行われた新訳の話が続き、それからラテン世界での註釈の伝統が取り上げられる。アリストテレス自然学の大学でのカリキュラムへの流入はもちろん転換点をなしているものの、『生成消滅論』がそのカリキュラムでどういう位置づけになっていたかはあまり注目されてこなかった、と著者は指摘している。一方でアルベルトゥス・マグヌス以降にその注解の流れもでき、とりわけ「ビュリダン派」(ビュリダン、ザクセンのアルベルト、ニコラ・オレーム、インゲンのマルシリウスなどを指す仮称とされている)による議論が大きな流れをなす、と。

同文章は論集の序文にあたり、そこでは上のそれぞれの話について、同論集に収録された各論考が引き合いに出されている。それぞれなかなか面白そうなので(たとえばビュリダンについては、「破損した身体の部分が再生した場合、それは数的に一と見なせるか」という問題についてのビュリダンのテキストをめぐる論考などがあるようだ)、そのうちぜひとも論集全体を見てみたい。

エックハルトとアヴェロエス

D'averroes a Maitre Eckhart Les Sources Arabes De La Mystique Allemande (Conferences Pierre Abelard)エックハルトは長いこと神秘主義の伝統、あるいはそうした括りで捉えられてきたと思うのだけれど、そのあたりに多少とも異義を差し挟んでいる一冊を見始めたところ。クルト・フラッシュ『アヴェロエスからマイスター・エックハルトへ』(仏訳版)(Kurt Flasch, D’averroes a Maitre Eckhart Les Sources Arabes De La Mystique Allemande (Conferences Pierre Abelard), Vrin, 2008)というもの。フラッシュは中世哲学の碩学で、1960年代からラテン・アヴィセンナ、ラテン・アヴェロエス、マイモニデスのリプリント版や、フライブルクのディートリッヒの校注本などの編纂に携わってきたという人物。邦訳ではニコラウス・クザーヌスとその時代』(矢内義顕訳、知泉書館、2014)がある。で、今回のこれは、もとは2005年のソルボンヌでの講義で、それを起こした仏語オリジナルということらしい(ちなみに日本のアマゾンの情報では600ページ超とか記されているけれど、実際には200ページほどの本)。同著者にはドイツで2006年に出版された同じテーマでの著書(Meister Eckhart: Die Geburt der “Deutschen Mystik” aus dem Geist der arabischen Philosophie, Beck C. H. , 2006)があるけれど、その直接の翻訳ではないとのこと。

まださわりを見ただけれだけれど、これはなかなか期待できそうだ。19世紀にエックハルトが再発見された際、当時はまだラテン語著作が知られておらず、研究者も大半がプロテスタント系のゲルマン諸語の研究者だったという。1880年にハインリッヒ・デニフレがそのラテン語著作を見出し、1886年に編纂するも、当時はすでに「神秘主義」という冠が定着してしまっていたという。つまり、スコラ学に対立するものとして、さらにはプレ宗教改革の文脈で捉えられていたということらしい。けれども、とフラッシュは言う。エックハルトには「恍惚的ビジョン」があるわけでもなく、神への直接的接近という内的体験もなく、著作は議論に満ち、聖書の注解などを残していて、新しい表現は随所に見られても、全体としてはキリスト教伝統の教義にはるかに近い。これのどこが「神秘主義」なのか、と……。もちろんエックハルトの教説はどこか異質ではあって、教会側からの糾弾を受けたりもしているわけだけれど(1329年)、そのどこか異教風な神学は、実は「神秘主義」の括りとはまったく別に、確固たる足場の上に築かれている、というのがフラッシュの見立てで、その聖書解釈の特殊な様式がどこにあるのかを改めて探らなくてはならない、と主張している。で、その基盤をなしているのがアリストテレス思想であるとして、アヴェロエス、アヴィセンナ、マイモニデスなどの、アリストテレスの異教的解釈の絡みで探り直そうとしている。とくにアヴェロエスについては、いわゆる「アヴェロエス主義」の誇張・色眼鏡を一端脇にどけ、ラテン語訳のアヴェロエスとエックハルトとの照応を検討しようとしている。さて、その結論は……?