相変わらずまとまった時間が取れないのだが、とりあえず先週後半くらいから林知宏『ライプニッツ―普遍数学の夢 (コレクション数学史)』(東京大学出版会、2003-2015)を見ている。とりあえず前半を終え、最も分量のある第三章を読み進めているところ。年代順の大きな枠組み(ライプツィヒ期、パリ期、ハノーファー期など)で、ライプニッツの数学との格闘の歩みを辿ろうとする良書。その学問的な関わり方というか、抽象化された記号による一般式にいたる前の、煩雑な計算をひたすらこなしていたであろうあたりの手触り感が、割とヴィヴィッドに伝わってくるような印象。個人的にはその足跡の細かいエピソードやスタンスが興味深いところ。たとえば最初の章での、物と物との関係性へのこだわりであるとか、法学研究を通じて論証の確実性を求めるようになり、数学へと接近していくいった経緯(のちにこれとの関係で確率論が出てくる。これは第三章で扱われる)とか、あるいは記号代数学の形式性を取り入れることに抵抗がなく、虚量(虚数)すら単なる符合(記号)にすぎないと見なしているというあっけらかんとした構え方とか(第二章)。横断的な知性、とでもいうのだろうか?いずれにしても、そんなわけなので、位置解析にもとづく新幾何学をまとめ上げようとする野心をホイヘンスに告げても、ホイヘンスがあまり理解を示してくれない、などという事態が生じるというのも、エピソードとしてなかなかに面白い。そう、平凡ながら改めて想う。ライプニッツは確かに面白い(笑)。