ソフトな大上段本?

数学する身体いろいろと作業が山積していたせいで、ブログは三週間ほど放っておいてしまったけれど、やっと少しばかり肩の荷が降りたので、ぼちぼちと復帰しよう。このところマクロな視点で語る基本書のようなものが各分野で出ていて、この二週間ほど少し気分転換的に読んでみた。どれも多少大味というか、チャートっぽい感じではあるのだけれど(そうなってしまうのは概説的であるからだが)、また大上段から構えているわりには語り口がやたらにソフトな点も少々気になるのだけれど(著者がおしなべて若い人たちだからか)、どれも話題作として売れ行きは悪くないようで、ある種の現象として興味深い。たとえば音楽なら、浦久俊彦『138億年の音楽史 (講談社現代新書)』(講談社、2016)、哲学がらみなら三宅陽一郎『人工知能のための哲学塾』(ピー・エヌ・エヌ新社、2016)。さらに数学もある。森田昌生『数学する身体』(新潮社、2015)

この『数学する身体』、とくにいいなと思うのは、論理性の塊というように一般に思われている数学が、実は直観や感性といった非論理的な面と通じていることを、数学史的な逸話(古代ギリシアからルネサンス期、さらに現代数学、チューリング、岡潔などと、一気に駆け抜けている)でもってさりげなく示している点。高校時代あたりのことを振り返ると、個人的に受験数学などは解法パターンでしかないと思っていた。けれども周りにいた、より数学ができる人というのは、そういうパターン思考というよりもむしろ柔軟に、瑞々しい感性でもって、あるいは直観的な洞察でもって問題に立ち向かっていたような印象が強い。個人的にも数学がその意味で発見の喜びに満ちあふれていることをわずかながらでも知ったのはずいぶん後になってからだけれど、同書はもしかすると、そんなふうにパターン思考などで凝り固まっている向き、あるいは文系志向にばかり染まりきっている向きにはなかなかタイムリーな啓蒙の書となるかもしれない(?)。