ストラボンは一端中断して、少し前からプロクロス『「パルメニデス」注解』の第3巻をレ・ベル・レットル版(Proclus, Commentaire sur le Parménide de Platon: 1re et 2e partie, Livre III (Collection des Universités de France), C. Luna et A.-P. Segonds, Paris, Les Belles Lettres, 2011)で読んでいた。第3巻は原文+詳細な注をまとめた分冊と、その文献学的な序論を収めた分冊との2冊に分かれているのだけれど、とりあえずこの原文部分だけを一通り読了。同じこの校注版で第2巻まで読んでからずいぶん時間が経ってしまったが、実はこの第3巻と続く第4巻が全体のメイン部分をなしている。そこでは形相(εἴδη)の問題が多面的に語られているからだ。第3巻の冒頭に、同書が以下に扱う問いとして次の4つが挙げられている。「形相は存在するか」「形相は何であって、何でないか」「形相の性質とは何か、どのような固有の属性があるか」「現実の個物は何故に形相に参与するか、またどのような形で参与するか」。最初の2つが第3巻で、残る2つが第4巻で扱われる(らしい)。
さてさて本筋に戻って、中世哲学関連の話を。このところ、中世哲学の研究史についていろいろと興味深いトピックが出てきている気がするが、これなどはまさにその王道というか、正面切っての精力的な取り組みになっている。カトリーヌ・ケーニヒ・プラロン『哲学的中世研究と近代的理性–ピエール・ベールからエルネスト・ルナンまで』(Catherine König-Pralong, Médiévisme philosophique et raison moderne: de Pierre Bayle à Ernest Renan (Conférences Pierre Abélard), Paris, J. Vrin, 2016)。18世紀から19世紀にかけての、中世研究の成立史を追った一冊。全体は四章構成になっていて、最初が概論的な中世研究史、次がアラビア哲学の認識問題、第三章は神秘主義vsスコラ哲学、第四章はアベラールの受容の変遷史を扱っている。著者本人も序文で記しているように、全体を俯瞰した後、徐々に問題圏を絞り込んでいくという構成になっている。
個人的に注目したいと思ったのは、とくにこの第四章のピエール・アベラールの受容の変遷。18世紀の啓蒙主義時代のアベラール評価は、基本的にその自伝や同時代の証言などにもとづき異端的とされ、さらにエロイーズとの手紙などの関連で、物語的な(ロマネスクな)人物像で彩られていた。さらにその異端的な部分(スピノザ主義の先駆として、あるいは無神論者として)がドイツの哲学史研究者によって強調され、19世紀初頭までそうしたネガティブな評価が優勢だったという。普遍論争の絡みでも、アベラールはプラトン主義者と見なされ、実在論の人という形で評価されたりもしている(まあ確かに、そのように読める箇所がアベラールのテキストには随所に見られるのだけれど)。これに異を唱える先鋒となったのが、ヴィクトール・クザン(Victor Cousin, 1792-1867)で、主に校注版の編纂を通じて、アベラールの評価を180度変えていくことになる。聖書の注解書に見られる正統教義の理解(スピノザ主義や無神論ではない)、『sic et non』に見られるスコラ哲学の嚆矢的なスタンス、師のロスリンを発展させた形での概念論的なスタンス(プラトン主義ではなく、むしろ唯名論に近い)などなど。