時勢の話が続くけれど、ご勘弁のほどを。このところの時勢の流れを見て、アメリカの保守主義について押さえておくことはとても重要かもしれない、と改めて思った。というわけで、宇野重規『保守主義とは何か – 反フランス革命から現代日本まで (中公新書)』(中央公論新社、2016)を読んでみる。著者曰く同書は、「必ずしも自らを保守主義者とは考えていない」者による、外的な視点での保守主義論だという(あとがきより)。この、外部に立つという姿勢は、ある意味共感を呼ぶスタンスではある。実際、同書はまさしく、主に欧州(というか英国)とアメリカ(ついでに日本にも触れているが)についての歴史的保守主義論。フランス革命に対するある種の反動として制度の維持・保守を訴えた17世紀の英国人エドマンド・バークから始まり、20世紀のエリオット、ハイエク、オークショットなどが紹介されていくのだけれど、やはり同書のハイライトはアメリカを扱った第三章という感じ。「大きな政府」に対抗するという特殊なスタンスが、アメリカの軸線として浮かび上がる。中心となるのはいわゆるリバタリアニズム。フリードマンとかノージックとかが中心人物となるわけだけれど、これが草の根のティーパーティー運動(もとはボストン茶会事件に由来するのだそうで、課税反対・小さな政府をスローガンにしている)にまで流れ込んでいくという。なるほど、だからソローもその文脈で取り上げられたわけか。一方で今やバリバリの保守とされるネオコンは、よく知られているようにもとは転向左翼。それがリベラル反共主義、ある種のリアリズムを経て、新保守主義へと移り変わっていった、という話。アメリカの保守派はまったくもって一枚岩ではないということが、改めて浮かび上がる。さて、次のトランプ政権はどういう位置づけになるのかしら……。