宗教改革以降の神学についても概略を押さえておきたいと思い、ちょうど出ていたW. J. ファン・アッセルト編『改革派正統主義の神学―スコラ的方法論と歴史的展開』(青木義紀訳、教文館、2016)にざっと目を通した。本格的論文集かと思いきや、なんとプロテスタント神学(という言い方を同書はあえてしていないのだけれど)の歴史にまつわる入門書。こちらとしては願ったり叶ったりという感じだ。全体的な流れが掴めるようにとの配慮から、先行するカトリックのスコラ学の概要や、それを支えたアリストテレス思想の概要までちゃんとまとめてある。そして本題となる「改革派」の神学。そちらも年代区分を設定し(1560年から1620年の初期正統主義時代、1700年ごろまでの盛期正統主義時代、1790年ごろまでの後期正統主義時代)、それぞれの概要や代表的論者のサンプルを紹介している。
久々にアラン・ド・リベラを読んでみた。とはいえ、いまなお続いている「主体の考古学」シリーズの最新刊ではなく(そちらもそのうち見たいとは思っているのだけれど、なかなか着手できない……)、今回はコレージュ・ド・フランスでの2013年から14年の講義録『近代的主体の発明』のほう(Alain DE LIBERA, L’Invention du sujet moderne: Cours du Collège de France 2013-2014 (Bibliothèque d’histoire de la philosophie), Paris, J. Vrin, 2015 )。リベラの思考や参照は、相変わらず中世にとどまらず、近現代などとも盛んに行き来する。さながら、古楽演奏の大御所が必ずしもバロックにとどまらず、いつしか古典派やロマン派などにまで解釈を広めていったりもするかのようだ。ただ今回は講義録ということで、いくぶん読みやすくはなっている。主体についての議論ということでまずはフーコーが引き合いに出されているのだけれど、実は一連の議論の発端には、ニーチェ(魂、自己、主体は三つの「迷信」だとする)があったことをリベラは告白している。