『プラトンと現代フランス哲学』(Platon et la philosophie française contemporaine : Enjeux philologiques, historiques et philosophiques)からの続き。今回はフランスにも大きな影響を与えたドイツのロマン主義界隈のプラトン受容について。第二章をなすマリー・ドミニク・リシャールの論考(Histoire, critique et implications de l’exégèse de Platon par les penseurs romantiques allemands, Fr. Schlegel et Fr. D. E. Schleiermacher)。フランスはプラトンの翻訳はクザンが嚆矢だったが、実はドイツはもっと早くからプラトンが注目を集めていた。プラトンは18世紀半ばごろに再発見せれ、その後当時の流行の著者として知識階級を中心にもてはやされていたという。カントが関心を寄せていたことなども大きいらしい。で、そちらを経由する形で、フランスにもロマン主義的な解釈が広まったのだという。その意味で、ドイツでの動きは、フランスでのプラトン受容史にも大きな影響があった……。この論文、細部をそぎ落とすと(個々の細部も興味深くはあるのだが)次のような輪郭が現れる。キーをなす人物は三人。まずは哲学史家のヴィルヘルム・ゴットリープ・テンネマン(1761〜1819)。この人物はプラトン思想の「体系」(全体像ほどの意味だとされます)を探ろうとしていた。対話篇はプラトンの思想のエッセンスを伝えてはいるが、プラトンには口頭でのみ伝えられた哲学的教義があった、という古くからの考え方を、テンネマンは前面に押し出す。こうしたプラトン思想の二元論的形象は、その後も長く継承されることになり、プラトンの著作の真偽にも影響を及ぼしていく。
ちょうどタイムリーに、『プラトンと現代フランス哲学』(Platon et la philosophie française contemporaine : Enjeux philologiques, historiques et philosophiques, Redolphe Calin, Jean-Luc Périllié et Olivier Tinland éd., Éditions OUSIA, 2017)という論集が出ていた。近現代のフランスにおいて、プラトン受容がいかになされてきたかを問題として取り上げた、なかなか興味深い一冊。少しゆっくりと見ていくのもよいかなと思うので、何回かにわけて主要トピックを追っていくことにしよう。まず今回は、プラトンのフランス語初の全訳を果たした(刊行開始:1822年)ヴィクトル・クザンのプラトン観から。論集の初っ端を飾る第一章、ミシェル・ナルシーの「フランス的プラトンの考案者:ヴィクトル・クザン」(Michel Nancy, L’invention du Platon français : Victor Cousin, pp. 29-50)だ。クザンは、中世思想研究のイデオロギー的側面を検証したケーニヒ=プラロンの本(こちらを参照)では、スキャンダル絡みで逸話的にしか受容されていなかったピエール・アベラールの哲学的再評価をもたらした人物とされているが、実はこのプラトンの全訳という訳業でこそ広く知られている人物。当時プラトンは、文学的にのみ理解され、しかも「当代の趣味にはそぐわない」とされて抄訳で紹介されることが多かったという。これに対してクザンは、あえてその全訳に挑んだという次第なのだが、何がそういう決意をもたらしたのか、という点が当然気になってくる。