理不尽なもの

夏休みモードなのでヒマネタを。近頃話題の映画カメラを止めるな!』(上田真一郎監督作品、2017)を観てきた(以下ネタバレありなので、同作を未見の人はスルーしてください)。

前半がワンカットワンシーンで37分続くゾンビストーリー。その前半にカメラがだいぶ揺れるせいで、ちょっと映像酔いというのか、多少具合が悪くなってしまう。でも、ワンカットとして(本当にそうなのかどうかはこの際問題ではない)これだけやれるのは見事ではある。もちろん今やお決まりのパターンの連続ではあるのだけれど、ある意味堅実な演出のようにも見える。ところどころにちょっと変な演出や動きが入るのだが、それもご愛敬と思わせるほど。実はその変な動きの背景にはそれなりの理由があり、それが後半で明らかになっていくわけなのだが、これは一転してドタバタのコメデイのよう。けれども実によく考え抜かれた構成になっていて、全体としては作品や映像業界への愛に貫かれた登場人物たちの必死の思いが描かれ、そんなわけでこれは特定のジャンル映画に対する愛に満ちた一本だというのがよくわかる。……よくわかりはするのだが、ちょっと待ってと思ったのは、ゾンビ映画そのものが本来もっていた恐怖の原型、つまり理不尽で得体の知れないものが意味なく襲ってくるという部分へのオマージュがなかったなあという点。

日本の伝統的な怪談などでは、怪奇なものの成立根拠はいつしか恨みつらみに回収される気がするが、西欧的には、怪物は秩序に回収されない外部、成立根拠があいまいで乏しいがとにかく理不尽に襲いかかってくる不条理なものとして存在感を放っている。怪物が生まれた経緯などの説明は一応なされても、それだけでその理不尽なものが襲ってくる根拠にはならない。そうした理不尽さは、もちろん日本の怪談にもないわけではないし、西欧の怪談にしても個々人の恨みの念とかが前面に出される場合もあるし、そのあたりの区分は突き詰めていけば曖昧模糊なものになりそうだが、少なくとも図式的には、あるいはベースとしては、そういう対比を描けるように思う。ゾンビ映画はまさにそうした理不尽なものの襲来を描いている典型。ゾンビ映画のはしりとなった68年の『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』にしてからが、ゾンビ(同作ではまだそういう呼称ではなかった)はすでにしてそこに「ただ居て」襲いかかってくるのだった。生きた屍というのにも実は長い伝統があり、中世くらいまでは遡れるらしい(たとえばこちらのBBCの歴史雑誌の記事を参照。このあたりの心性史は要注目かも)。

というわけで、後半が幸福な達成感で終わるのではなく、何か回収しきれていない不気味なもの(それは日本的な恨み節とかでもまったく構わない気がするが)が、最後の最後で炸裂するような展開、笑いが再度凍りつく展開を期待してしまった。ないものねだりのような感想で申し訳ないが、もしそれがあれば、本作は快作を通り越して傑作になったに違いない、なんて思ったり(偉そうで失礼。夏休みだからね……)。

テオフラストス『植物誌』を見始める

Recherches Sur Les Plantes: Livres I - II (Collection Des Universites De France Serie Grecque)これまた夏読書的に読み始めているテオフラストス『植物誌』(περὶ φυτῶν ίστοριάς)(Théophraste, Recherches sur les plantes: Livres I – II (Collection des universités de France série grecque), trad. Suzanne Amigues, Les Belles Lettres, 2003)。とはいえまだ第一書を終えただけ。この第一書は植物ごとの「違い」を、それぞれの部位(茎、枝、葉、根、花など)ごとに示そうとするもので、どこか眩暈を感じさせるほどに植物の多様性が浮かび上がる。というか、テオフラストス自身、どこかその広範な差異を前に呆然としながらも、するどい観察眼でもってなんとか分類を果たそうと苦闘する姿を想像させる。『植物誌』は全部で九書から成るもので、第一書はそうした各部の差異と全体的なメソッドなどを示している。第二書は栽培された植物、第三書は野生の植物、とくに木々を取り上げ、第四書では環境と植物という話が展開する。第五書は木々の本質や伐採時期、利用方法など、第六書は低木など、第七書と第八書はとくに草の類を取り扱う。第九書はちょっと違っていて、植物の医学的利用法といった話になっている模様だ(以上は底本としている上の希仏対訳本の解説序文から)。テオフラストスにはもう一つ『植物原因論』もあり、機能論らしい(?)そちらもそのうち見ていこうと思っているが、さしあたり、まずはこちらの第二書に入っていく予定。