一般意志も解釈様々
未読本から、今度は岩波『思想』2013年12月号(特集;ディドロ生誕300年)を見ているところです。
ルソーもそうですが、ディドロの著作もまた、個人的にはどちらかというと純粋に文学として見てしまうことが多く、思想家としての側面からのアプローチはこれまであまり真剣に考えてみたことがありませんでした。なので逆に、政治思想の観点から見据えるというのが、とても興味深く感じられます(いまさらかよ、とは言いっこなしで(苦笑))。
で、同書。冒頭の座談会(「今、ディドロを読むために」)も刺激に満ちていますが、それにつづく王寺賢太「一般意志の彼方へ——「諸意志の協調」とディドロ晩年の政治的思考」が個人的にはグッときました。ルソー的な一般意志とは異なる一般意志概念を、ディドロは打ち出しているという話です。ディドロの一般意志は、ルソーのように個人が自分の権利を譲渡した総体的な意志に従属するというような安定化の契機ではなく、君主に対して団結・抵抗・蜂起するために突きつけるものだとされるのですね。
少々乱暴にまとめるなら、選挙を通じて制度に与するような一般意志(ルソー的)と、君主に対する対抗力とするための、異議申し立てをなすような一般意志(ディドロ的)があるということです。後者があればこそ、君主制が専制に堕落することを防ぐことができるのだ、というわけですね。こうした異議申し立ての一般意志という発想だけでも、ディドロを改めてちゃんと読んでみたいと思わせるに十分です。