中世の言語論とのからみで、ジョルジョ・アガンベン『言語と死』(G. Agamben, “Il linguaggio e la morte”, Piccola Biblioteca Einaudi, 2008)を読んでいるところ。もとは1982年刊。いや〜、これがまた実に面白い。まだ途中なのだけれどね。ハイデガーとヘーゲルによる「言語の外部」についての考察を追うというのがメインストリームなのだけれど、分析のための手がかりを得るべくにいったん古代・中世にまで遡及し、そこから取り出してきたある種の言語論の根底をもとに、あらためて両者にアプローチするという構成。で、その根底として、まずは修辞学的な文法の隆盛が挙げられる。これは古代以来の形而上学と密接に結びついていたといい、とりわけ重要なのが中世における代名詞の扱いで、「純粋存在」(神はそういうものだとされるわけだけれど)の形而上学の成立と代名詞の意味論的な考察とは時を同じくしているのだという。とくに指示詞、シフターとして、発話行為そのものが指示されるような場合だ。このあたりはとても示唆的(多少アガンベン独特の横滑りも感じられるけれど)。存在するものから存在への形而上学的な超越の関係は、体系的言語に対する発話行為の関係と対偶のような配置になる、という次第。