「古代後期からビザンツへ」カテゴリーアーカイブ

「正統派をめぐる戦い」 2

引き続き、アタナシアーディ『後期プラトン主義における正統派をめぐる戦い』からメモ。まず取り上げられているヌメニオス。アパメアが一大文化拠点となり、様々な哲学・宗教の流派が入り乱れて混在していた当時に、その地にあって、ペルシア、エジプト、バビロニアなどの宗教的伝統、ユダヤ教、キリスト教などをひとまとめにし、人間と神とを繋ぐ道の体系化を図ろうとしたのがこのヌメニオスなる人物。まさに全宗教的な神学を目指していたというわけなのだが、それだけに、属していたプラトン主義陣営の後続の人々からは不評を買っていた。反ヌメニオスの嚆矢はポルピュリオスだといい、イアンブリコス、マクロビウス、プロクロスなど、次第にその敵対関係はヒートアップしていく……と。カルデア神託との関係で言うと、ちょうど同時代的ということで、どうやら最近は、神託とヌメニオスの影響関係が双方向的にあったのではないか、という話になっているらしい。なるほどね。いずれにしても興味深いのは、なにがしかの「原点回帰」を唱えるヌメニオスが、後の時代には多分に折衷的と見なされて主たるプラトン主義陣営から排斥されていくという点。「原点回帰」ということが原理的に孕む微妙な危うさ、というところか?

「正統派をめぐる戦い」1

前にヌメニオスとかが、プラトン思想を継ぐと称する他派に対してすごく好戦的な感じだというような印象を記したと思ったけれど、その名もずばり、「正統派をめぐる戦い」という本を取り寄せてみる。ポリムニア・アタナシアーディ『後期プラトン主義における正統派をめぐる戦い』(Polymnia Athanassiadi, “La lutte pour l’orthodoxie dans le platonisme tardif : De Numénius et Plotin à Damascius”, Les Belles Lettres, 2006というもの。ヌメニオス、プロティノス、イアンブリコス、ダマスキオスの4人を取り上げて、それぞれが正統派の確立にどう貢献しようとしたのかを論述していくものらしいのだけれど、すでにこれ、文字と音声といった媒体論、あるいは制度・組織論的な目配せもあっていきなり面白い(笑)。しかも議論のその前段にあたる1章目が、思いがけず「カルデア神託」の概説になっていて有益。というわけでメモしておかねば。

プラトンによる文字の批判は、要するに物質的シンボルで固定された瞬間、超自然の預言の言葉は精気を失い、「死語」と化すというものだった……で、これは当時のギリシアが古代のオリエント文化に対して示していた姿勢を端的に物語るものだという。口伝えの重視ということで、それは神託が神がかり的なトランス状態で発せられる言葉が大いにもてはやされたこととも関係がありそうだ。この文字への態度に変化が生じるのはだいぶ後で、やっと3世紀ごろから密儀や神託が文字で残されるようになる。こうした文脈を背景に、「カルデア神託」も登場する。

「カルデア神託」は、降神術使いのユリアノス(父)およびユリアノス(子)が受けた神託ということだが、イアンブリコスによると、ここでいうカルデア人とは、3世紀ごろの地中海都市アパメア(シリア)での聖職階級を意味するらしい。で、この本の著者によれば、神託を受けたとされるユリアノスも、おそらくはその階級に属していたのだろうという。アパメアは実際に聖都であったようで、386年ごろにテオドシウス1世の勅令でアパメアの神殿が破壊されるまでは、巡礼の人々などで大いに栄えていたらしい。イアンブリコスはこの地を教育活動の拠点とし、新プラトン主義の学派を作ったというけれど、それはその聖都に惹かれてのことだったのではないか、とも述べている。

「神託」そのものは、ユリアノス(二人の?)がトランス状態で発した言葉である可能性が高いといい(そうした事例の傍証として、著者は1930年ごろのトルコの盲目の溶接工の話を出しているが、ま、それはともかく)、神託を発する二人のユリアノスはみずからがトランス後に操作・解釈を加え、やがて2世紀の終わり頃には伝承は固定されて、コーランよろしく、異聞の写本、類似の教説などが弾圧されて消されていった……というのが著者の大筋の仮説だ。まあ、このあたりはなかなか論証は難しいのだろうけれど、いずれにしてもこの「神託」の扱いは新プラトン主義の展開と大いに関係してくるというわけで、先の展開を期待させる序章ではある。

「グノーシス主義の思想」

これは少し前にどこぞで話題になっていたと思うのだけれど、大田俊寛『グノーシス主義の思想 – <父>というフィクション』(春秋社、2009)を読み始める。まだ2章目までだけれど、これ、ぐいぐいと引き込む力をもった、なんとも鮮やかな整理が滅法印象的。こんなりすっきり整理されてよいのかしら、と思えるほど。なにやらチャートっぽい感じとか、かつての『構造と力』を思い起こさせたりもするかも、なんて(笑)(古代思想が対象なので文脈などはかなり違うけれど)。いやいや皮肉っているのではありません。世間に出回っているグノーシスについての多くの言説を、ロマン主義的バイアスがかかったままだとして一蹴し、そこから具体的なテキストに即してその思想の核心を取り出していこうとする姿勢には共感を覚えるし、それを「父」の探求という人類学的な視座からアプローチしているところも、スケールを感じさせるものがあるし。これは次回作も期待できそうな予感……って、先走りたくもなる(まずは後半も読み通してからだけれど)。

ダマスキオス

プラトン主義の系譜を、飛び飛びに追っている形だけれど、ヌメニオス、アッティコスときて、今度はダマスキオスを読み始める。3巻本で出ている希仏対訳本『第一原理論』の一巻目(“Damascius – Traité des premiers principes 1 – de l’ineffable et de l’un”, L.-G. Westerink & J. Combès, Les Belles Lettres, 2002)。ダマスキオスは5世紀末から6世紀にかけて活躍した人物。同書の冒頭の解説によれば、他の例に漏れず、その生涯についても諸説入り交じっている模様だが、大筋は次のような感じ。ダマスキオスはシリア出身で、アレクサンドリアで学んだ後にアテネのマリノスのもとで学問を修める。そんなわけで新プラトン主義の一派に属し、とりわけイアンブリコスの影響を強く受け、プロクロスの見解をいろいろ再考しているという(ちなみにそれを証言しているシンプリキオスはダマスキオスの弟子だ)。ところが東ローマ皇帝ユスティニアヌスがキリスト教以外の異教の学問を禁じたためにアテネを追われ、シンプリキオスを含め仲間たちとペルシアに亡命。その後アテネに戻ったとか戻らないとか判然としていないという。

著作はいろいろあり、哲学史的に重要とされる『イシドロスの生涯』、アリストテレスやプラトンの若干の著作への注解、そして『パルメニデス注解』とセットで語られるこの『第一原理論』。これは注解ではなく、第一原理(一者)と流出についてのかなり自由で思弁的な論述だという。まだ冒頭部分しか見ていないけれど、確かに一者の言語化できない特質などが淡々と(わりと平坦に)語られていく。でも細かく突き詰めていく異例な思考のスタイルだとされるだけに(シンプリキオスによると)、面白くなっていきそうな徴候も確かに感じられる(ような気がする)。

アッティコス

これまたちびちびと読んでいた希仏対訳本『アッティコス – 断片集 』(“Atticus – fragments”, trad. Édouard des Places, Les Belles Lettres, 2002″。主要部分は一通り目を通したが、これもまた面白い。中期プラトン主義のヌメニオスのちょっと後くらいの時代の人(二世紀)だというけれど、なにやら生涯とか詳しいことはわからないという。プラトンとアリストテレスを折衷しようという動きに反対しているようで、基本的に両者は相容れないという立場に立つようだ。たとえば「生まれたものがすべて滅するとは限らないし、滅しないものがすべて生まれたものではないとも限らない」みたいなことを言ってアリストテレス的な世界の永遠の議論に釘を刺していたりする。また、そもそもアリストテレスに対して否定的で、「プラトンは第一の物体こと元素は四つとしているが、アリストテレスは第五の元素を持ち込んで数を増やしている。(中略)唯一アリストテレスだけが他の元素にある質をいっさい持っていない、いわば物体ではない物体を持ち出してくる」と、第五元素(というか第一質料かな)をまったく認めていない。ヌメニオス同様、正統派のプラトン主義はわれにありと言わんばかりで、それほどに折衷派との対立は根が深かったんかなあ、と思わせる。