面白い研究というものもいろいろある。対象の面白さだったりアプローチの妙だったりと、その面白さの由来も様々だ(あまりにも当然な話だが)。ときには、あまりにストレートすぎることがかえって面白味を生むことも。これもそういうものかな、という論考を目にした。カルボン&ダイニンガーによる「黄金色の知覚:過去の知覚的慣習をシミュレートする」(Claus-Christian Carbon & Pia Deininger, Golden perception: Simulating perceptual habits of the past, i-Perception, volume 4, 2013)。一般に、中世(初期から盛期にかけて?)の絵画表現が古代末期に比べて後退していたというような話が、時にさも当然のように語られることがある。遠近法もないし影すらついていないではないか、というのがその理由だったりする。けれども、もしかするとそれは後世から見た「進歩主義」的なフレーミングのせいかもしれない。実際、ある研究は、中世の絵画は当時の鑑賞上の条件に最も適した技法を凝らして作られている、というポジティブな評価を与えているという。つまりそれらは修道院や教会の、ステンドグラスから注ぐ光、あるいはロウソクの光など、そういう制約の中で眺めることを前提とした絵画なのだから、ほかの環境(日の光のもとなど)ではまったく違うものに見えてしまうのだ、と。なるほど、それなりに一見説得力のありそうな説ではあるけれども、これだけだと極端な話、結局は印象論でしかないということにもなりかねない。ならば、いっそこの説を知覚実験でもって検証してしまえばいいのではないか……。というわけで、上の論考はまさにそういうことをやろうとしている。ちなみに上の説はヴォルフガング・シェーネという美術史家のもの。シェーネによると、中世の画家がキアロスクーネ(明暗法)を用いていないのは、神を光と同義と見るのが当時の宗教的信条としてあり、画家たちは聖書の場面を通じて神の光のイデアもしくは本質を示そうとしていたからだという。中世絵画に描かれる光はみずから輝く光であるともに啓示の光でもあり、そこに影が差すなどという余地はなかった、というのだ。金箔の使用などもそのような文脈で説明される(らしい)。
ミカエル・フッセル『世界の終わりの後で』(Michaël Fœssel, Après la fin du monde : Critique de la raison apocalyptique, Seuil, 2012)をつらつらと読んでみた。タイトルを見て、「一種の災害論?それとも預言論みたいなもの?」なんて勝手に予想していたのだけれど、実際にはもっと奥深い問題を扱っていて、ちょっとした好著という感じさえある。全体として問われているのは、「世界の喪失」体験は思想的な「近代」を成り立たせる構成要素をなしているのではないか、という問いだ。まず「系譜」と称される前半。ここで取り上げられているのは主に17世紀以降の近代で、その近代の成立や維持を実は「世界の喪失」体験が支えていたのではないか、その体験ゆえに練り上げられていたのではないか、といった話が展開する。もちろん17世紀と現代とでは「世界の喪失」も意味するところは相当違っている。かつてのそれは「コスモス」、つまり神に支えられた秩序の宇宙が失われる体験だった。終末論の批判というのは、不安定化した世界に直面した哲学にとっての危急の検案だった(参照されるのはホッブズ、カント……)。やがて終末論を遠ざけるのではなく、安定的基盤を失った新世界への失望から、再び終末論を招き入れるという動きへと転じる(ウェーバー)。その後、今度は「世界の終わり」を中和するのではなく、世界そのものを中和するのだという方向で、形而上学的な刷新が興る(ヘーゲル)。前半部の著者の見立てはこのように展開していく。
引き続き前回の『14世紀ヨーロッパにおける哲学、科学、占星術』(Filosofia, scienza e astrologia nel Trecento europeo. Biagio Pelacani Parmense)から、ほかの注目論考についても簡単なメモ。同論考には伊語のほか、仏語、英語論文などが混在している。で、まず注目どころは、リシャール・ルメー「トレチェントのイタリア人文主義の着想源としての反アラブ主義−−あるいはスコラ学的スタイルの拒否」(Richard Lemay, De l’antiarabisme – ou rejet du sytle scolastique – comme inspiration première de l’humanisme italien du Trecento)。これはまだ序説的なものにすぎないようなのだけれど、13世紀にアラブからの学問流入に沸いたヨーロッパは、その後14世紀になって独自文献を自前で産出できるようになると、よりおおもとのギリシア文献に目を向けるようになり、かくして人文主義が勃興し、結果的に反アラブのスタンスを取るようになったという流れを描き出そうとしている。ここではとりわけ占星術関係の文献に着目していて、アラブの(占星術系の)文献とその教えに関する13世紀初頭の紛糾(1210年のパリの禁令など)は、アルベルトゥス・マグヌスが『天文学の鑑』を刊行した1250年ごろを境に鎮静化していき、一方で1277年の禁令以降は反アラブ主義が頭をもたげ、たとえばそれはダンテの『神曲』などにも散見される……というのだけれど、その反アラブという捉え方はとくに定義も具体例も示されておらず、厳密に何をそう称しているのかちょっと不明。とはいえ、力点がシフトしていったことは確かだろうし、文化・学術史的にみたアラブ世界の比重の減衰はとても興味深い問題ではある。
もう一つ、ダニエル・ジャカール「14世紀前半のパリにおける医学と占星術」(Danielle Jacquart, Médecine et Astrologie à Paris dans la première moitié du XIVe siècle)は、医学と占星術の併用・融合が、時代と場所によって実に様々だったことを指摘しつつ、14世紀前半のパリに限定する形で、文献から両者の関係性を明らかにしようと健闘している。14世紀前半においては、占星術の医学的な活用を疑問視する者もいれば(ニコル・オレームなど)、それを大いに奨励する者もいて(一時パリに滞在していたアーバノのピエトロなど)、全体として大いに錯綜している感があるようなのだけれど、同論考では次のような興味深い指摘がなされている。つまり、当時の宮廷付きの医師というのがたいてい占星術師で(代表格はモーのジェオフロワ)、占星術に懐疑的なパリ大学の医学部の関係者はそこに入っていけず、両者はいわば互いに没交渉の二つの医学世界を作っていたらしいことだ。その状況はペスト禍が起きる1348年以降劇的に変化し、医学部出身者の間から宮廷付きの医師が徴用されるようになるという。うーん、このペスト禍前後の状況の変化などは、もっと詳しく知りたいところ。
少し古めの本だけれど、ヴェスコヴィーニ編『14世紀ヨーロッパにおける哲学、科学、占星術:パルマのブラシウス』(Filosofia, scienza e astrologia nel Trecento europeo. Biagio Pelacani Parmense, ed. G. Federici Vescovini, Il Poligrafo, 1992)という論集を見ている。これは小著ながら、錚々たるメンバーが執筆陣になっていて読み応えも十分だ。基本的に、編者ヴェスコヴィーニの業績の一つでもあるパルマのブラシウスの再発見を中心に、科学史的な観点で同時代(14世紀)の様々なトピックが綴られている。というわけで、まずはその編者による一本「パルマのブラシウス:近代黎明期における哲学、占星術、科学」を読んでみた。ということで以下はメモ。ブラシウスは基本的に世俗の学問の教師で(パドヴァ大学で数学を教えていたほか、パヴィア大学、ボローニャ大学でも教鞭を執っていた)、医学、光学、天文学(占星術)なども講じていたとされる。占星術はその当時、超自然的な現象を合理的に説明するための手段にもなっていて、いわば「自然学に宗教的な概観を与え」ていた。それを反映してか、ブラシウスの講じる占星術は数学・自然学的なものだったようで、天体などは神的なものとは見なされず、あくまで運動の計算対象、自然学的な対象と捉えられていたという。人間についても、ブラシウスはそもそも自然学的な本性と霊的な本性の区別を認めず、あくまで自然的なものとして捉えているのだそうで(医学的な発想が色濃く出ているということか)、「知性」にしてからが、天球の配置の影響のもとで質料の潜在性によって導かれたり引き抜かれたりしうるものと考えられていた。ここには、魂のような上位の霊的形相すら天空の影響によって質料から自然発生しうるのだという革新的な考え方があり、それが1396年の糾弾に繋がったのだという。
ジャン・ビュリダン(14世紀)に関するジャック・ズプコの研究書(Jack Zupko, John Buridan: Portrait of a Fourteenth-Century Arts Master , University of Notre Dame Press, 2003)を飛び飛びに眺めているところ。とりあえず個人的には、心身問題というか霊魂論についてまとめられている11章にとりわけ興味が湧く。というわけで、その概説を簡単にまとめておこう。著者によるとビュリダンは基本的に動物・植物の魂と人間の魂とを分けて考え、前者は物質の集合体で生物学的機能で定義される延長的な力をもち、可滅的なものだとされている。対する後者は非物質的・不滅的・創造されたもので、数的には多であるとされる。ビュリダンにおいては、動物や植物の魂は身体全体に広がっており、各器官での分化については潜在性(可能態)の近接・遠隔という議論で説明されているという。つまりこういうことだ。動物における感覚的機能は特定の器官で発現しているわけだけれども、機能をもたらしている魂自体は全体に広がっているため、たとえば動物の任意の各部(足でもなんでも)に視覚や聴覚の「遠隔的な」可能性があるのだという。ただしその器官がそれらの機能を「近接的な」可能性へと高める配置になっていないため、発現しないのだというわけだ。また、動植物の魂というのは同一であり、植物的魂と感覚的魂の区別などは言葉の問題にすぎないと、いかにも唯名論的な立場を取ってもいる。このあたりもなかなか興味深い。