ルイスによるアンセルムス批判

神から可能世界へ 分析哲学入門・上級編 (講談社選書メチエ)今週後半は八木沢敬『神から可能世界へ 分析哲学入門・上級編』(講談社選書メチエ、2014)を読んでいる。まだ前半部分を見ただけだけれど、個人的にはなかなか面白い構成になっている一冊。なんというか、道案内付きの散策路に連れ出されたような心持ちになる(笑)。分析哲学の入門書シリーズの三冊目(上級編)ということで、その入門書としての役割は十分に果たせているということなのだろう。同書では、アンセルムスによる有名な「神の存在証明」を、現代の分析哲学がどう読むのかということをメインストリームとし、その解説に必要な事項を随時、具体的な事例を交えて解説していくという体裁を取っている。ときおりその解説は、ちょっとした大きな迂回路に入ったりもし、それはそれで興味深い散策経路が見通せたりもする。前半の核をなしているのはデイヴィド・ルイスによる様相実在論からのアプローチ。そこで定式化されたアンセルムスの証明は、妥当性はともかく健全性において難があるということがルイスによって指摘されていくわけなのだけれど、その定式化の過程で浮かび上がるルイスの理論的な体系がなんとも渋い(笑)。後半はどうやら、様相実在論よりも優勢だという現実主義(ネイサン・サルモン)から見たアンセルムスの証明という話になるようだ。

『無限の歴史』から:ルネサンス編

Histoire infini先にメルマガで取り上げたヨナス・コーン『カントまでの西欧思想における無限の問題の歴史』。仏訳タイトルは『無限の歴史』(Jonas Cohn, Histoire infini, trad. Jean Seidengart, Les Éditions du Cerf, 1994)。ドイツ語の原典はライプチヒで1896年に刊行されたもので、独語版は入手不可(?)らしい。けれども、こうして仏訳が比較的最近出て、新たな息吹を吹き込んでいるところが素晴らしい。実際、「無限概念の歴史」としては、これがまずもって参照すべき一冊とされているようだ。実際、同書は様々な論者をリファーしていて、全体的な流れが俯瞰できるところが秀逸。とっかかりの一冊として利便性が高い印象だ。メルマガのほうでは中世後期あたりからクザーヌスまでを参照し大雑把にまとめてみたけれども、その後のルネサンス編も興味深い(ので、以下メモ風にまとめよう)。一つの核を成しているのは、クザーヌスから影響を受けたとされるジョルダーノ・ブルーノとその独創的な「無限数の世界」論。これを軸として、ブルーノの先駆者的なパリンゲニウスやテレジオ、パトリツィ、あるいはブルーノ以後にその批判者として連なるカンパネッラ、ガリレオ、ケプラー、ガッサンディなどが取り上げられる。ここで重要なポイントとなっているのは、その頃台頭していた新しい(古代のものとイコールではないという意味での)原子論だ。ちなみにその流れは。すでに一四世紀から見て取ることができる。

任意の大きさが無限に分割可能であるとしたなら、時間や運動にも始点などないことになり、世界の創造もないことになってしまう。けれども世界内の任意の大きさは数で計測できることから、それは不連続であることが論証できる。よってそれは分割不可能な点(原子)から成っている。ただ、その大きさに含まれる点の数を、人間はその認識的な限界ゆえに知ることができない……。ブルーノやカンパネッラなどを含めて、この論法は17世紀初頭にまでいたる(アイルハルト・ルービンも)。けれどもコーンによれば、原子論が突きつけた問題とは、実はアリストテレス以来の空間概念と物体概念の混同にあるといい、両概念の明確化こそがその議論の展開を読む鍵になるという。運動が生じるためには真空がなくてはならないとするジュール・セザール・スカリジェ(スカリゲル)を経て、ピエール・ド・ラ・ラメ(ラムス)において、空間と物体の分離の議論は完遂されるのだとか。さらにダヴィッド・ゴルラエウスなどもそれに連なる。ラ・ラメはまた、数学的な連続体を思弁的に無限に分割することを、自然学的な感覚的大きさに移しかえてはならないとも唱えていて(これも一四世紀にすでに同種の議論があるが……)、同じようなことをダニエル・ゼンネルトも強調しているという。ガッサンディも同様(さらにマグネヌス、ディグビーという名前も挙げられている)。ところが空間と物体の分離というテーマは、デカルトの台頭によっていったん影を潜める(?)ことになる。というか、モルスやオットー・フォン・ゲーリケといった反デカルト主義的批判が活況となるまで、しばしお預けとなるらしい……。

絵画表現:重なり合い問題

Giotto_-_Scrovegni_-_-06-_-_Meeting_at_the_Golden_Gateちょっと着眼点の面白い絵画論を読んでみた。バーバラ・ジラム「初期ルネサンス芸術における重ね合わせ問題」(Barbara Gillam, Occlusion issues in early Renaissance art, i-Perception, vol.2, 2011)というもの。この論考で問われているのは、絵画において人物やモノが重なりあっていること(occlusion)、つまり隣接する表面が実は別々の深度にあって、一方が他方の後ろに回っていることをどう表現しているかという問題。中世末期からルネサンス初期(一四世紀のシエナとフィレンツェ)の絵画でこれが問題になるのは、ときにそれが微妙に「変な」表現になっている場合があるからだ。たとえば一四世紀のジョットの一枚≪ヨアキムとアンナの黄金門での出会い≫の左下で、顔がくっついているように見える部分(画像参照)。これは反例の一つなのだけれど、こういうところから、もっと自然な深度が得られる条件とは何かを探っていこうとする。ま、条件そのものはそれほど意外なものではなく、T字交差(T-junction)とかエントロピー・コントラスト(entropy contrast)とか、なにやら物々しい専門用語が使われているけれど、要は重なる手前側と向こう側のそれぞれの要素の独立性(の印象)が強まればよいということだ。手前側が凸状であるほうがよいとか、地面の描き込み、俯瞰的な視点を取る、グループ化するなど、そうした区別をはっきりさせるテクニックはいろいろあり、実際にそれらの実例がジョットやドゥッチョなどの絵画に散見される。論考はそれらの実例を列挙している。ドゥッチョの場合には顔の重なりを避けていて(ジョットとは対照的に)、聖人を示すのに用いられる光輪を、そうした直接の重なり回避のために用いていたりもするようだ。

で、ふと思ったのだけれど、この重ね合わせという絵画的現象は、ある意味で「ライン」の生成の一事例という感じもしなくない。先日読んでここでも取り上げたインゴルド『ラインズ 線の文化史ではないけれど、こうした重ね合わせは知覚に生じるごく原初的な「エクリチュール」であるというふうにも言えるかもしれないなあ、と。さらには、カオスの中からまとまったゲシュタルトを切り出してくる作用という意味で、それはアルシ・エクリチュールと呼んでもよいのかもしれない、と(デリダのもとの用語とは意味合いがずれるだろうけれど)。そうした知覚や認識の深い部分に関わる研究というのも、集めてみたら面白そうだと思う。というわけで、このブログでも新カテゴリーとして「アルシ・エクリチュール論」というのを設けてみることにしよう。

17、18世紀の思想的風景も

サロンの思想史―デカルトから啓蒙思想へ中世思想史がメインの本ブログも、最近は筆者の個人的な関心の振れ幅に合わせて、前後・左右(?)へも鋭意拡張中(笑)といったところ。この拡張路線でも、思想史的ポイントというのはいろいろあることが改めて感じられ、それらも、できれば中世からの史的展開の流れに照らしつつ見ていきたいと思っている。とまあ、そんな中、思うところあって手にしてみたのが、赤木昭三・赤木富美子『サロンの思想史―デカルトから啓蒙思想へ』(名古屋大学出版会、2003)。17、18世紀のサロンでどのような思想が語られていたかを詳述しようという一冊のようだが、冒頭の第一章がその時代の思想史を俯瞰的に捉えていて、見取り図として役立ちそうな案配だ。たとえば17世紀前半からのガッサンディらによる懐疑主義の動き。その広がりはずいぶんと広範だったことが改めてわかる。エピクロス思想とともにリベルタンたちの間で広まり、デカルト全盛の17世紀後半にあっても命脈を保ち、ときには幾人かの過激な論者をも生んでいき、18世紀にまで受け継がれていくとされる。で、それを支えたのがいわゆる地下出版で、これは17世紀末ごろから盛んに。とりわけ架空のユートピア旅行記などの体裁で検閲を逃れた宗教批判などが活況を呈したという。地下出版にはもちろん論述もあり、『ジョルダーノ・ブルーノ復活』三部作(逸名著者)なんてのもあったという。無神論地下文書の系譜、みたいなものも形づくられていたようだ。また、17世紀初頭からの宗教批判の高まりとは対照的に、政治への批判が浮上するのは17世紀末になってからで、それ以前はガッサンディ周辺のリベルタンなどでさえ政治的には保守的だったとされる。彼らは「絶対王政の熱烈な支持者になった」というのだけれど、その理由が「民衆の力の噴出を恐れるあまり」(p.62)なんだとか。うーむ、なにやら微妙にパラドクサルでにわかには納得しがたいものもあるような……。このあたり、もう少し詳しく見てみたい。

修道院規則と生の様式

Altissima povertà. Regole monastiche e forme di vitaすごく久々に、ジョルジョ・アガンベンを読んでいるところ。ものは『いと高き清貧』(Girogio Agamben, Altissima povertà. Regole monastiche e forme di vita, Neri Pozza Editore, 2011)。「ホモ・サケル」シリーズの第四部第一分冊ということらしいが、タイトルから想像できるように、「規則」というこものが「生の様式」(forma vitae)と一体となっている様を、修道院規則(とくに後半はフランシスコ会が中心となっていく)を題材に検討するというもの。相変わらずその大胆かつ繊細な着眼点がとても刺激的だ。たとえば次のような論点。修道院規則はその古い形において、すでに生の在り方を規定していた。というか、生の完成ということを目指して共同生活を送るという修道院の存立の理念からして、それは生活のモラル化、規則による生の規律化を目指すものだった。では一三世紀のフランシスコ会は、先行する他と諸会派とどう違うのか。アガンベンはここで、「生の規則」(regula vitae)という場合の属格(「生の」)の意味を問う。それは意味上の主語なのか、それとも意味上の目的語なのか。regula fidei(信仰の規則)、regula juris(法的規則)、regula loquendi(話法:発話の規則)という場合、属格に来るものは意味上の主語をなす。regula vitaeはどうか。かつての修道院においては、それもまた意味上の主語をなしていた。生が規則になる限りにおいて、その規則は生と一体化していたのだから。で、どうやらフランシスコ会の場合は(その属格に意味上の目的語の含みももたせて?)そこに、ある種の緊張状態を孕ませている。規則は生を生み出し、そのうちに規則みずからを成立させるのだ、と……。この微妙な渾然一体性と差異とに、アガンベンは規則の口承性と文字化の対立や、規則と典礼(とくに聖典の朗誦)の一体性などを重ね合わせていく……。

さらに、フランシスコ会の文献から、生活様式(forma vitae)に類する表現の数々を拾い上げ、その微細な差異を問題として取り上げてみせる。たとえば規則と生(regula et vita)という表現のこのet(〜と)。もっと古い修道院文献には、規則もしくは生(regula vel vita)といった表現が見られるといい、両者の渾然一体性を表しているとされるが、フランシスコ会のほうは、両者が一体でありながらも一方では(並記されているところから)分離し、ある種の緊張状態を保っていることが示されている、とアガンベンは見ている。こうして、規則が生へと転じるところに、生の様式「と」生を与える規則とが同時に成立する、という生成的な論点が浮かび上がってくる。