8世紀の算術

修道院文化における科学的知見の発展に言及するような場合、一般に12世紀以降が大きく取り上げられ、それ以前は今なおときにダークエイジ的な扱いになってしまうことが散見されるけれど、8世紀くらいにすでに優れた科学的知見の拡がりがあったという話を、尊者ベーダが行っていた算術計算を例として、リアム・ベニソン「中世初期の科学:ベーダの事例」(Liam Benison, Early medieval science: the evidence of Bede, Endeavour, vol.24, 2000)がまとめている。ベーダの著作はこれまた多岐に及ぶというが、ここで取り上げられているのは725年頃に書かれた『時間の計算について(De temporum ratione)』という書。当時の最も重要な計算問題は移動祝日であるイースターの日にちの確定だった。で、ベーダがいた北イングランドのノーサンブリアでは、84年周期のケルト方式、19年周期のヴィクトリウス方式とディオニュシオス方式の三つが乱立していて、ベーダはディオニュシウス方式を擁護していたという。ベーダはアウグスティヌスが唱える文献比較を方法論として、キリスト教関連以外の学術をも精力的に研究していたらしい。けれどもこの論考の中で最も興味深いトピックは、ベーダの上の書が、潮汐と月の関係について初めて言及していたという点だ。月の出と入りが毎日48分づつずれていることを指摘し(同書でベーダは閏年の説明も行っている)、潮汐もほぼ同じずれをもっていることを明かしているという(さらに、場所によって満潮・干潮時間が少しずつずれていることも指摘している)。ベーダがこれをどのようにして見出したかは定かではないというが、実測した可能性もあるとしつつ、その背景には英国に渡ったゲルマン民族が有していた広範な伝統的知識があったのではないかと同論考は考えている。異教的な知に対して開かれたスタンスが垣間見られる、ということか……。

同論考も指摘しているけれど、それにしても驚異的なのは、まだゼロを含むアラビア数字が流入していない時分において、ベーダが複雑な計算をこなしていること。ローマ数字は計算には向かず、ギリシアの数詞も実用的とは言いがたい。むしろベーダが用いていたのは指を用いた計算方法ではないかという。ベーダのその著書には実に多くの計算例が記載されているといい、しかも同書は広く流布して盛んに読まれたといわれ、人々が新しい記数法を求めるきっかけになったのかもしれないと論考は指摘している。

wikipedia (en)より、ベーダにもとづく指による記数法。