中世盛期の「異常発生」論

これも年越し本になってしまった一冊。まだ途中まで(三分の二ほど)なのだけれど、年末年始からとても得した気分になるほど面白いので(笑)さっそく記しておく。マイケ・ヴァン・デル・ルクト『虫、悪魔、処女−−中世の異常発生論』(Maaike van der Lugt, Le Ver, Le Démon et La Vierge – Les Théories médiévales de la génération extraordinaire, Les Belles Lettres, 2004)。ちょっとエキセントリックな題名で、なんとなく敬遠していたのだけれど、読んでみると中身はしっかりした研究だった。12〜13世紀の中世の動物発生論、とりわけ「異常発生」(つまり通常の生殖によらない発生)の問題圏めぐって、当時の議論を手堅く整理している感じだ。人口に膾炙した伝承の類や聖書にもとづくエピソードなどについて、当時の識者たち(主として神学者たち)がどのように解釈していたかをまとめ、わかりやすく紹介している。この、説話と学識層の議論とを行き来する様がとてもいい。というか、対象の選定としても論考の展開としても、ある種理想的な研究に思える。こういうのがやれれば本当にいいよねえ、と思う(笑)。

第一部は中世盛期の発生論のまとめ。ガレノス流に女性にも種子を認める立場と、アリストテレス流の男性のみに種子や形成力を認める立場との対立として各論者たちの布置を描き出しているのだけれど、個人的にエギディウス・ロマヌスのテキストなどはもっと錯綜感があったような印象があり、そんなにきれいに分かれるんだっけかなあと思ってしまった(笑)。いずれにしてもこれは序の口。本論は第二部から。まず紹介されるのは、アヴェロエスの『医学集成(Colliget)』にある話。近隣の女性の証言としてアヴェロエスは、悪意ある男性が射精した湯に浸かったら妊娠したという話を記しているというのだけれど、これに関連した様々な論者の説がまとめられていく。もともとその話はユダヤ起源のものとされ、反ユダヤ的な姿勢に結びつけられて(たとえば尊者ペトルスなど)一蹴されていたものの、やがて、性交がなくても女性の妊娠があり得るかという議論に移り変わり、多くの論者たちがその可能性を認めるにいたったという。続いて、動物の場合(たとえば雌馬)の「風による妊娠」話など、単為生殖にまつわる伝説とそれらをめぐる識者たちの議論が紹介される(サレルノのウルススやアルベルトゥス・マグヌスによる反論など)。生物の自然発生の伝説も俎上に乗る。たとえばエボシガイ(barnacle:貝)からコクガン(barnacle:野生の雁の一種)が生まれるという中世起源らしいとされる伝承。サレルノのウルスス(ウルソ)がその話に合理的説明を付けようとしたりするものの、13世紀になるとアリストテレス説に基づきそうした伝承は否定されていく。

そうした伝承についての議論で問われるのは、どこまでそうした自然発生を認めるかという限度の問題だ。一部の動物に自然発生を認めるという考え方(アリストテレス)は、アヴィセンナなども継承しているわけなのだけれど、西欧においてはそのコスモロジー思想の最下層に位置する「形相付与者」(dator formarum)の考え方が問題視される。それを認めてしまうと天使や悪魔にも創造の力があることになってしまうとして、後に糾弾されることになる(タンピエの禁令など)。とはいえ、やはり急進的な考えをもつ人もいないわけではなく、なかなか事態は複雑だ。ちょっと個人的に面白そうだと思ったのは、14世紀末ごろのパルマのビアッジョという人物。ラディカルな合理主義・自然主義を貫き、魂の不死を否定し、知的魂すら質料の中から引き出されると考えていたという。発生論的には、一部の動物は空気の中間領域から生じるとしていたらしい(!)。

続く第三部は悪魔がらみの発生について。ここでまず問題になっているのは、中世の説話に登場する魔術師マーリンの出生譚。母親が悪魔(夢魔:incubus)によって受胎したとする説話だ。さらに聖書に出てくる巨人族の出自が悪魔にあるとする教説もある。これらはいずれも神学者たちからは否定されていくのだけれど、その際に悪魔の身体性が問題とされるようになる。悪魔が人前に姿を現すときの身体は雲の形成に喩えられるような仮の身体(corpus assumptus)とされ(トマス・アクィナス、ボナヴェントゥラ、ドゥンス・スコトゥスなど)、実質的には人間への影響を及ぼせないという説が一般化するのだけれど、それ以前からもすでに、そうした仮の身体での咀嚼や生殖は議論の的になっていた。悪魔が生殖に及ぶ場合に擬似的な種子を作るといった説(ヘイルズのアレクサンドルス、オーベルニュのギヨーム)も出るものの、これは後に斥けられ(サン・シェールのフーゴー)、かくして仮の身体や擬似的な種子では人間を形成する力が得られないという議論が大勢を占める(形成力は親の魂に由来するとされる)。代わりに出てくるのが、悪魔が人間の精子を盗み、一種の「人工授精」を行うという考え方で(トマス・アクィナス)、中世末ごろまでそれは定説として一般化する……。こうした諸説はペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』の注釈という形で議論されているのだけれど、著者によれば14世紀になると、発生論に関連した注釈はほとんど姿を消してしまう。特にフランシスコ会派がそうだといい、一因は命題集への註解の仕方がそもそも変容してしまうからだというが、とにかく発生論の議論全体が下火になるらしい。15世紀になって悪魔学が天使論から切り離され、魔術の言説と結びつくようになって、オーベルニュのギヨームなどの説がまた引き合いに出されるようになり、発生論がらみの議論も一種のリバイバルが起きるのだとか。

いや〜、実に面白い。キリストの受胎を扱う第四部についてはいずれまた。