ゾシモス 12 – 14

12. ヘシオドスが言うには、外側の人間とは紐帯であり、ゼウスはそれでプロメテウスを縛りつけた。次いでその紐帯の後に、ゼウスは別の紐帯であるパンドラを送り込んだ。ヘブライ人たちがエヴァと呼ぶものである。プロメテウスとエピメテウスは寓意の言葉では一人の人間、すなわち魂と身体を意味する。プロメテウスはときに魂の像、ときに知性の像をなし、またときに肉体の像をなすが、これはエピメテウスの無分別のせいである。エピメテウスはみずからの知性であるプロメテウスに対して注意を払わなかったのだ。というのも、私たちの知性は私たちにこう語るからである。「望めば、望む通りに、あらゆることができ、あらゆるものになりうる神の子は、各人のもとに立ち現れる」。

13. イエス・キリストはアダムに結びついていた。イエスは、「フォス」と呼ばれたものたちが以前にいた場所へと(アダムを?)連れていったのである。人間となり、苦しみを被り、打ちつけられたイエスは、まったく無力な人間のもとにも現れた。またイエスは、密かにみずからのフォスたちを救った。苦しむことのないその者は、死を踏みつけ、斥けることができることを示してみせた。しかるべき時まで、つまり世界の終わりが来るまで、イエスは密かに、あるいはあからさまに、みずからを慕う者たちを救い、密かに、それらの者たちの知性を通じて、彼らによって打ちつけられ殺害されたアダム、彼らを盲従させ、気息的で輝かしい人間に羨望を抱いたアダムを、交換するよう助言するのである。彼らはみずからのアダムを殺害するのである。

14. 偽造者のダイモンがやって来るまではそのような成り行きである。そのダイモンは彼らに羨望を抱き、先に迷わせてやろうとて、魂としても身体としてもみにくいにもかかわらず、自分が神の子であると言うのだ。だが、真の神の子がどのようなものであるか理解して以来、より聡明になっている彼らは、ダイモンにみずからのアダムを差し出し殺させて、輝かしい気息はみずからの場所、現世の前に彼らがいた場所へと救い置こうとする。だが、その偽造者、羨望者は、あえて(神の子との名乗りを)行う前に、まずはペルシアからの先発者を遣わすのだ。作り話を語って人を惑わせ、人々を運命の周囲に導く者である。その名の文字は九つで、「ヘイマルメネー」(運命)の拍に従い、二重母音をも温存している。七つ前後の時代区分を経て、その者はみずからの本性にもとづきやって来るであろう。

– プロメテウス神話が心身の結合の話になっているのが興味深い。「フォス」と「アダム」もこれとパラレルで、前者が魂、後者が身体・肉体に相当する。キリストはそのフォス(魂)を救い、それに対立するアダムを「交換」するよう諭すというわけだが、仏訳注では、この「交換する」は要するに「打ち捨てる」という意味だろうとされている。 
– パンドラ=エヴァがどう絡んでいるのかは、ここからではちょっとわからない。
– 「偽造者のダイモン」(直訳は細かく模倣するダイモン)は、これまた仏訳注に従うならアンチキリストのことらしい。
– ダイモンが送り込んでくる先発者というのもよくわからないが、ゾロアスター教のマギが示唆されているようだ。7つの時代区分というのは、これまたマズダ教(古代ペルシアのゾロアスター教)にある概念だとのことで、世界の生命区分が7つの千年紀から成り、それぞれが各惑星の支配下にあるとされる。最初の6つは悪が栄え、最後の7つめで太陽神が到来し、正義と幸福を打ち立てるが、その終わりには神の力も費え、続く8つめの千年紀で世界は恒久的に破壊されてしまうという。言うまでもなく、キリスト教の至福千年説にも似ている。