思うところあって、ポンポナッツィをちゃんと見ておこうかと思っている。で、2012年刊行の羅仏対訳本で『霊魂不滅論』(Traite De L’immortalite De L’ame Tractatus De Immortalitate Animae (Classiques De L’humanisme), trad. Thierry Gontier, Les Belles Lettres, 2012)を見ているところ。校注本のよくあるパターンだけれど、これも例によって、訳・解説・校注者のティエリー・ゴンティエによる冒頭の解説序文が結構面白い。霊魂可滅論の重要な論拠になっているのは、アリストテレス『霊魂論』から引かれた一節にもとづく推論。「知解が想像力(phantasma)であるなら、または想像力を伴わずにいないなら、魂は離在することはできない」(大前提)、「魂は想像力なしでは何も知解しない(魂は像なしでは知解しない)」(小前提)。これにスコラ学の伝統から、操作(知解という)の依存関係が存在(知性)の依存関係を導くことを認めるなら、知解は想像力が必要であり、したがって(知的)魂は肉体から分離して存在できない、という結論が導かれるという。ポンポナッツィは、アヴェロエスの誤謬がこの大前提の<または>を<および>と取り違えていることにあるとし、またトマス・アクィナスの誤謬は小前提に関わっている(想像力なしで、という部分の意味論的な広がりを誤解しているのだという)と見ているらしい。解説では、アヴェロエスとトマスがポンポナッツィの対話相手(論敵)だと見ているわけなのだが、具体的な批判部分は細かな検証に値するようで、解説序文著者のゴンティエはこの点にこだわって論を進めている。
さらにこれも関連する一篇だが、ジョン・セラーズ「知性に関するポンポナッツィのアヴェロエス批判」(John Sellars, Pomponazzi contra Averroes on the Intellect, British Journal for the History of Philosophy, 2015)という比較的新しい論考も、要領よくまとまっていて参考になる。基本的にアリストテレスの注釈者たちについての概観と、ポンポナッツィの中心的議論、さらにより現代的な視点からのアリストテレス解釈などを紹介している。ポンポナッツィの議論そのものとしては、人間的理性が魂の不死を論証するのは不可能だというのが基本スタンスだといい、また、知性を実体として考えるのではなく、あくまで魂の一機能にすぎないという捉え方をしている点が特徴的だと指摘している。
そういう基本構造に迫ろうという一冊に、ラスムス・ウーギルト『テロルの形而上学』(Rasmus Ugilt, The Metaphysics of Terror: The Incoherent System of Contemporary Politics (Political Theory and Contemporary Philosophy), Bloomsbury Academic, 2012)があるようだ。これ、Google Booksで冒頭の序文などが読める(もちろん、例によって一部のページを除くが)。そこでの主たる議論によれば、テロリズムというのは基本的に政治的な定義以外になく、しかもそれは具体的に指すものを示すことのない無でありながら、恐怖をまきちらすという構造をもつ。それはどうやら、テロリズムが元来もつ「潜在性」の広がりにポイントがありそうだ……と。そのあたりを検討する意味で、著者は形而上学という言葉を出してくるのだけれども、それはかつての第一哲学のような、根源の一者を考えるようなものではもはやなく、むしろ最終哲学、他の科学との連携による形而上学の批判を通して形而上学を再考するといった営みになる、という。そうした批判的立場から、テロリズムが有する「潜在性」の構造を浮かび上がらせ、それによってその構造そのものを無化することができるのではないか、というのが同書の賭けとなる。そのための道具立てとして、同著者は中期以降のシェリングによる「顕在・潜在」の議論を援用する。これはなかなか興味深いお膳立てだ。さて、その後の展開はどうなるのか……。ちなみに同書の書評がこちらに。