代数学の始まり

アラビア数学の展開 (コレクション数学史)ロシュディ・ラーシェド『アラビア数学の展開 (コレクション数学史)』(三村太郎訳、東京大学出版会、2004)を眺め始める。ラーシェド(個人的にはラシドの表記を使ってきたが、まあ、フスハー(標準アラビア語)的にはそういう表記もありかな、と)の原著は84年のもの。まだ第一章を終えたところ。この第一章は「代数の始まり」と題して、アラブ世界における代数の初期の展開を描いている。当然、最初に登場するのは9世紀前半ごろのアル=フワーリズミーだ。その特徴とされるのは、なんといっても「代数計算それ自身を目指した初めての試み」(p.18)という点。逆にそれ以前の歴史、つまりフワーリズミーに影響を与えたであろう諸々の数学研究の流れについては、さほどわかっていない状況なのだという。うーむ、「始まり」と言いつつ、その真の始まりは靄に包まれているということか。続いて登場するのは、10〜11世紀のアル=カラジー。アレクサンドリアのディオファントスの再発見による算術化を進めたといういわば過渡期の人物。さらに三次方程式の理論を進めたアル=ハイヤーミー。これには二次方程式の発展と天文学の要請などが背景にあるとされる。数学がそれ自体を追うにしても、そういう周辺的な要請は無視できないのだといい、上のカラジーにしてからが、そういうことを記しているのだという。行政に絡む業務上の必要性がそうした発展の、傍系的な整備役になってきたこともまた確かであるらしい。

アリストテレス『政治学』を囓る

Politics (Loeb Classical Library)メルマガのほうでパドヴァのマルシリウスの政治論を読んでいるのに関連して、アリストテレス『政治学』(いつもながらのLoeb版:Politics (Loeb Classical Library))をゆっくりと見ているところ。まだ第二書まで。第一書には有名な「人間はポリス的動物」という一節もあるわけだけれど、論じられているのは主に経済問題(家政問題)で、奴隷を肯定する議論とかもあるし、また財産などの共有(いわば原始的な共産主義だが)がいろいろ問題含みであることなどが論じられていたりする。一般にアリストテレスの政治思想が保守的と括られる所以なのだけれど、一方でアリストテレスは、共有制にも私有制にもそれぞれのメリットがあることを示し、両方のメリットを汲み上げるような体制を推奨しようとする。財を所有することは財をめぐる諍いを低減させるし、利己的にならず「友人」との関係に役立てるべく一部の財を共有へと供することは人間的な快をもたらす、と。そうした制度の実践を、徳の教育と立法でもって実現するのが理想なのだというわけだ。このアリストテレス的理想の真逆の例が、とても卑近なところにあり、個人的にはとても腑に落ちる気がする。つまり、親戚づきあいや友人づきあいとかが嫌で、最後の砦は金だとして半ば守銭奴的なケチ道(蓄財ではなしに)に邁進した人物を、個人的によく知っている(今は呆けてしまった老親だ……)のだが、呆けてしまってからは自分の預金も下ろせず、かといって人付き合いも失ってしまっていて、見事に自助の手段を失っているのだ。そういうのを見るにつけ、利己主義的デメリットというものがヴィヴィッドに感じられる……。これはもはや単に個人の問題ではない。そういう動きが蔓延する社会はやはりどこか破綻している……。

アリストテレスはまた、社会というものは異質な人々によって構成されてこそのものであり、あまりに均質な人々によって構成されるのでは社会として成り立たないというようなことも述べている。均質・異質のいかなる過剰さも排するというのが、ここでもアリストテレス的な中庸の在り方なのだろうけれども、いずれにしても差異へと開かれる契機が随所に散りばめられているあたりに、また別の読み方の可能性がほの見えているような気がしなくもない……。

パレオグラフィ

西洋写本学少し前に出た、ベルンハルト・ビショップ『西洋写本学』(佐藤彰一、瀬戸直彦訳、岩波書店)を眺めている。これはいわゆるパレオグラフィ(古文書学)&コディコロジー(写本学)の基本書ということで、論評の対象にするような書籍ではないけれど、とにかく写本の文字の正確な読み取りがいかに大変かということと、それを極めてきた先人たちの不断の努力の尊さなどを改めて想う。ただ同書は値段がちょっと張っているのが玉に瑕で、基本書ならばもっと廉価で出せないものか……とため息も出る。ま、それはともかく(笑)。

同書はもっぱらラテン語が主なのだけれど、ギリシア語などについてもそうした基本を押さえておくのは重要。手書きの写本を解読する上でキーとなるのは、なんといっても隣接する文字同士の融合(合字:ligature)や、一定のパターンについての省略法を知ることだが、そのあたりについて、いくつかWeb上のソースを見て回っているところ。たとえばローマ時代のビザンツのギリシア語表記についてはGreek Letter Combinationsというページがあるし、もっと原文に即した具体例が示されているものとしては、たとえばA Short Tutorial on Greek Paleographyというページなどがある。個人的にとても面白くかつ参考になるオススメは、古典ギリシア語の古文書書体のフォントセットのマニュアルらしいこちらのPDF。Fonts for GREEK PALEOGRAPHYというもの。これの第一部が、時代ごとの書体の特徴をまとめていて興味深い。あと、関連書籍はいろいろありそうだけれど、ネットで観られるEdward Maunde Thompson, An introduction to Greek and Latin Paleography, Clarendon Press, 1912は、ラテン語とギリシア語両方を扱っていて、これまたとても参考になりそうだ。うーむ、でも基本を呑み込んだらあとはやはり実践あるのみ、ですかね。いろいろ写本を見ていくしかないわけだけれど、ネットの時代のありがたみも改めて感じる。なかなか読めないけれども、それはそれで楽しい時間になりそうだ。