今年の春先にちくま学芸文庫で出たネルソン・グッドマン『世界制作の方法』(菅野盾樹訳)。現代の唯名論者ということで、ざっとだけれど読んでみた。個物だけが実在し抽象概念などが表すものの実在は認めないというのが中世の唯名論だけれど、現代世界でのそれは、抽象概念は構築されるものなのだから、いくつものバージョンがあって構わないということになるらしい。構築論・相対論ということか。これは多元宇宙論ではなくて、現実世界は個物の集積としてあるものの、それを人が認識する網目は多様なのだということを、グッドマン本人が述べている。そもそも人間の言語や知覚自体が、そういう開かれたものとしてあるではないか、とグッドマンは言う。その知覚についての一節である実験が紹介されていて、光の点灯で図形を描く装置で、継起的にたとえば小さな丸と四角が一定の条件下で明滅すると、人はそれを連続して変化したもののように感じたりするが、結局それはあくまで思いなしであって、人はその「あいだ」を補って理解するのだということが論じられている。なるほど人は実はデジタル的なのに、一方でそれは補完的にアナログ化するというわけか。外部世界を切り取る知覚それ自体はきわめてデジタルなものでしかないのに、それを認識の次元でアナログ化するということ。よくテレビのバラエティーで、「じっと見ていると一部だけが変化しますよ、それはどこでしょう?」とか言って、部分的なモーフィング映像を流したりするけれど、これがなかなか難しいクイズなのは、知覚がかくもデジタル的な処理だからなのかもね。補う「あいだ」が見つからないと、意外にも人は落ち着かなくなる?というか、そういう「あいだ」を無理にでも見つけようとするとか?
そういえばレベルは全然違うけれども(笑)、先週の大統領選についての海外メディアのフィーバーぶりもまったく「思いなし」の産物という気も。ル・モンド紙の校正係がやっているブログ「Langue sauce piquante」の11月6日のエントリでは、オバマに対する賞賛の念は「latrie」(神にのみ捧げられる表敬の意)にまで達したと、やや皮肉な調子で述べている。黒人大統領の誕生は確かに歴史的だとはいえ、その前後の騒ぎっぷりは金融バブルと同じような肥大した期待かも、と。