否定神学の「教科書」

13世紀のパリ大学で講義に使われたという、ディオニュシオス・アレオパギタの『神秘神学』ラテン語訳(エリウゲナ訳)ほかの編纂版(“A Thirteenth-Century Textbook of Mystical Theology at the University of Paris”, trans. Michael Harrington, Peeters, 2004)をゲット。訳者マイケル・ハリントンによる序文に早速目を通す。この序文、論文として実にうまい構成になっていて、『神秘神学』の翻訳史から始め(エリウゲナの前にヒルドゥインというサン・ドニの修道院長による訳があるという)、神秘神学に見られるプロティノスの引用箇所を検討した後、ギリシアでの注解の伝統を取り上げ(プロティノスからポルピュリオスへと至る、新プラトン主義の転換が反映され、世界霊魂は神に同一視されているのだとか←(これは要確認だな))、そこからエリウゲナ訳がディオニュシオスの原典をどう扱っているかへと進み、アナスタシウス訳のギリシアの注解やエリウゲナの著作に触れ、校注版本文の解説へと入っていく。特に指摘されているのは、「思考」と「一者との合一(神秘的上昇)」との関係の話。ディオニュシオスでは両者は明確に区別されているのに対して、エリウゲナ訳では全体にその区別が曖昧になっているという。選択された訳語など翻訳上の微妙な差異が入っているのだとか。ギリシアの注解の伝統にもそういう部分があるようで、そのあたり、エリウゲナがそちらの影響を多少とも受けた可能性もありそうだ。なかなか興味深い話になっているでないの。いずれにしてもエリウゲナ訳のテキストは、アナスタシウスの後も様々な修正や注解を経て、13世紀にまで受け継がれていく。かくして本書の本文をなす「教科書」も出来上がるというわけなのだが、さて、その出来はいかに?