今回はちょっと中世から離れるけれども、後世に伝わる「有名な」逸話が、どれほど鋳造されたものなのかを考える意味で、これはなかなか刺激的な論考だと思うので取り上げておこう。つい先日History of the Ancient Worldで紹介されていたされていた、南アフリカ大学のボスマンという人の「王、犬に出会う:アレクサンダーとディオゲネスの出会いの起源」という論文(P.R.Bosman, ‘King meets dog: the origin of the meeting between Alexander and Diogenes’, Acta Classica: Proceedings of the Classical Association of South Africa, Vol. 50, 2007)。アレクサンダーがディオゲネス(シノペの)のところに赴いて、望みはあるかと尋ねると、ディオゲネスが「日の光を遮らないでくれ」と言い、さらにそれに感心したアレクサンダーが、「アレクサンダーじゃなかったら、ディオゲネスになりたかった」と返答した、というあたりの逸話なのだけれど、実はこれにひな形があった可能性がある、というのが議論の中心。この二人の出会いのエピソードは、キケロ、セネカ、ディオゲネス・ラエルティオス、プルタルコスなど様々なテキストで紹介されているというが、従来の研究でもすでに、キケロやラエルティオスのもの(上の前半部分)が基本形で、その上に後半部分が付加され、さらに偽ディオゲネスの書簡などでディオゲネスがアレクサンダーの助言役となっているなどの発展形が加わり、後にそのパロディが出来る、といった図式で考えられてきたのだという。著者はこれを「賢者と王」というギリシア的定形表現(トポス)の枠内に置き直し、さらに犬儒派とアレクサンダー大王とのそれぞれにまつわる文学的伝統を取り上げ、ディオゲネスの弟子でアレクサンダーの遠征に参加したという、オネシクリトスという人物の「アレクサンダーの教育」という断章にある、インドの賢者の話が大元ではないかという説を出してくる。犬儒派はそれをもとにディオゲネス像を修正する形で逸話をしつらえたのでは、というわけだ。この説の是非も個人的には判断できないが、有名な逸話として単純に受け入れているものが、このような問題として開かれる様は実に刺激的で興味深い。こういう問い直しの事例はまだまだたくさんありうるのだろう。改めてそうした研究の面白さの一端を味わった気分。
↓Wikipedia(en)より、Jean-Léon Gérôme作「樽の中のディオゲネス」