あまり頻繁に聞く話ではないけれど、中世の修道僧たちが、自分たちの(というか修道院の、教会の)財産を守るために呪詛を用いていたという話がある。それに関連した論考を読んでみた。ピーター・リーソン「神の呪い:修道院の呪詛の法則と経済」(Peter T. Leeson, God Damn: The Law and Economics of Monastic Malediction, Journal of Law, Economics, and Organization, 2011)(PDFはこちら)。これによると、この呪詛の話、決して中世初期だけのことではなく、中世盛期においても、異教に対する教会の霊的な独占を保護するために、超自然的な処罰を訴えたりしていたのだという。ルネサンス期のフランス、イタリア、スイスなどにおいて、十分の一税の取り立てに絡み、超自然的な処罰を信じさせるために動物裁判を援用していた例などもあるのだとか。要はこれ、超自然を用いた一種の脅しというか、抑止力の行使ということなのだが、同論文は「迷信の法則と経済」の検証と銘打って、修道僧のような「理性的」層の司法制度において、呪いといった明らかに偽の信仰がどのような役割を果たしていたのかを改めて問うている。
特に取り上げられているのは西フランキア(現在のフランスを含む一帯)。修道僧や司教座聖堂参事会員など、その地の聖職者はとりわけ裕福だったという。主な財産は土地とその付属物。聖職者のコミュニティは最大手の地主だった。カロリング朝では王や役人がその財産権の保護にあたったが、9世紀にはヴァイキングの侵攻があり、10世紀にはカロリング朝の王制自体が揺らいでしまう。地方の豪族が力を増し、こうして追い込まれた聖職者たちは自衛に窮し、こうして彼らは呪詛(神への訴え)への依存を深めていく。つまり、そうした呪詛的な礼拝が執り行われたり、怒号を上げたり(?)、財産の略奪者の眼前で聖遺物を汚したりした(本来崇めるべきものを汚すことで、略奪者の側に不利益が生じるという理屈だったらしい)という。さらには、破門や異端排斥を掲げることもあった。こうした呪詛の脅しは12世紀ごろまで結構功を奏していたようで、計量的データはもちろん存在しないものの、語りものの文献などにその効果が示されているという。当然その背景をなしていたのは、一つには教会の権威や信仰の真摯さが社会の隅々にまで浸透していたことがあるだろうし、呪詛についても教会がその行使を独占してたという事実もある。13世紀にいたるまでに、呪詛が正当とされるのは適切な目的のために適切な人物が行う場合に限られる、といったルールの精緻化も進んでいたというけれど、結局は呪詛そのものの正当化にはやはり無理があり(聖書そのものにも呪詛を禁じるパッセージが多々ある)、さらに13世紀にはフィリップ2世による財産保護制度の復活などもあって、国家の役割が強固になるにつれ、こうした呪詛の活用はそもそも不要になり、やがて廃れていくことになる……。