このところ、フランスでイスラム過激派グループの問題が再浮上しているようだ(ユダヤ系の食料品店を襲撃したとして過激派グループが一斉摘発を受け、同グループがさらに別のテロも計画していたことが判明したのだとか)。フランス国内のイスラム教コミュニティは教徒全般の排斥に発展することを恐れ、一部の過激派の暴走にすぎないということを強調したりしている。一方のユダヤ人コミュニティも、反ユダヤ主義の再燃を恐れ、一部とはいえ逸脱行為は許せないと改めてアピールしているようで、治安問題に頭を痛めるフランス政府も、イスラムそのものと切り離した形での過激派の取締りを強化しようとしている。三者の思惑が微妙に絡まりあって、なにやらちょっと不穏な空気も感じられる気がするが(?)、こうした状況について歴史的背景からの見通しをよくしてくれそうな論考を読んでみた。デイヴィド・ナイレンバーグ(シカゴ大学)「イスラム・ユダヤ関係について、中世スペインは何を教えてくれるか?」(David Nirenberg, What Can Medieval Spain Teach Us about Muslim-Jewish Relations?, CCJR Journal, 2002)というもの。これは実に興味深い論考。
イスラム教とユダヤ教の対立という構図は、実は歴史的には一般に思われている以上に複雑で、たとえば中世イスラム世界においてユダヤ人は共存していたか敵対していたかという点などでは、歴史家の間でも一致を見ていないという。この問題に一石を投じるため、論文著者はあえて一種の迂回路を取り、中世スペイン(レコンキスタ期)でのイスラム・ユダヤの関係を再考する。で、著者は両者の関係性は、実は第三の項、つまりキリスト教徒の媒介を考えなくては理解できないとする。中世初期のイスラム世界においてもキリスト教コミュニティは大きな規模で存在していて、すでにしてキリスト教のユダヤ観がイスラム教に影響を与えていた経緯があるわけだけれど、さらにイベリア半島においてキリスト教が支配的な立場に立つようになると、その下で、イスラム教とユダヤ教がそれぞれのコミュニティの存続をかけた覇権争いをするようになり、キリスト教へとある種の媚びを示しながら、両者は互いに相手を非難するようになる、というのだ。キリスト教の利益やイデオロギーに媚び、イスラム教もユダヤ教も、もともとはキリスト教が抱いていたそれぞれ相手陣営の「悪しきイメージ」を互いに増幅させていく。どちらがよりいっそうキリストに近いかを競う、いわばチキンレースのような感じか。かくして中世スペインのイスラム教徒は、イスラムの伝統を逸脱し、マリアの処女性すら受け入れたりしているのだという(キリストは預言者として扱い、ユダヤ教徒はキリストの殺害者として糾弾する)。
三つめの項が介在することで敵対性が助長されるという構図を、著者は論文の最後の部分で敷衍しようとし、近現代史でも同じような動きが見られるとして、フランスや英国の植民地主義に言及している。イスラム教は近現代においても、植民地の権力の代理人として、またそれらにおもねる言葉を駆使しつつユダヤ教を攻撃してきた、というわけだ。このあたりはもしかすると異論とかもありうるのかもしれないが、いずれにしても、もしそうだとすれば、現行の過激派をめぐる対応の行方も、そうした動きの延長線上に見直すことができるかもしれない。