ドゥンス・スコトゥスのテキストも久々に見ている。モノは『意志の原因』『愉悦の対象』という二つの論考を収録した仏訳本(La Cause Du Vouloir Suivi De L’objet De La Jouissance (Sagesses Medievales), trad. François Loiret, Les Belles Lettres, 2009)。そういうタイトルの独立した論考があるのではなく、最初のものは『命題集注解』第二巻の二五章、二つめは同じ注解書の第一巻第一章第一部問一をそれぞれのタイトルで収録したもの。どちらもスコトゥスの自由意志論の重要なテキストとされているけれど、とくに前者については大幅に違う三つの異本を収録していて資料価値も高い。さしあたり、その三つの比較(これはとても興味深いところなのだけれど)はとりあえず後回しにして、まずは二つめのタイトルである『愉悦の対象』を読んでみた。というわけで早速メモ。
久々にペトルス・ヨハネス・オリヴィのテキストを眺めている。少し前に出ている、シルヴァン・ピロンによる羅仏対訳本の『契約論(tractatus de contractibus)』(Pierre De Jean Olivi: Traite Des Contrats (Bibliotheque Scolastique), trad. Sylvain Piron, Les Belles Lettres, 2012)。同書の解説によれば、『契約論』はオリヴィの著作としては最後期(1296年ごろ?)に書かれたものではないかということだが、これまたどこか時代に対して先進的な印象で、なかなか面白い。まだ第一部の売買契約についての議論を見ただけだけれど、価格の決定がいかになされるべきかを正面切って論じていて、価格の本質が使用価値にあることや(8節)、その価値が稀少性によって高まること(10節)などをするどく指摘してみせる。一方でその価格決定が共通善に照らして評価されるべきことをも主張し(24節)、つまりは市民社会がその評価をするべき立場にあることも指摘している(26節)。このあたりのバランスは個々のケースによるようで、物資が不足するような事態において売り手がその物資の価格を上げるような場合については、それが共通善に反する(高利をなすなど)のであれば認められないとしているけれど、一方で学問のために高値で買った書物が後に値が下がったものの、当初の価格で転売したいと考える場合や、買い手がつかないために家屋を評価額よりも安く売るような場合については、(社会的な)評価額を逸脱しても不正とは見なされないとしている。全体としての理念(共通善に即した適性価格の考え方)を貫きつつも、オリヴィの考察はなにやら時にとても具体的かつ実利的なものに思える。そういうしなやかさが、ここでもまた印象的だ。
わーお。一見とんでもなくキワモノに見えるものの(苦笑)、これはこれでとても興味深い研究だ。リチャード・バウワーほかによる「中世の多元宇宙:一三世紀のロバート・グロステスト宇宙論の数学的モデリング」(Richard G. Brower et al., A Medieval Multiverse: Mathematical Modelling of the 13th Century Universe of Robert Grosseteste, Nature, Vol.507, 2014)。今メルマガのほうで読み始めているグロステストの『光について』(De luce)が描く、第一形相としての光の拡散による物質世界を延長と、それによる諸天の形成というヴィジョンを、数学的なモデリングでもって描き出してみようというもの。先に西川アサキ氏によるライプニッツのモナドロジーのモデリングがあったけれど、これもある意味で同じような学際的研究。グロステストは『光について』で、光(lux)が質料に次元的な延長をもたらすものの、質料の半径(つまりは光の放射域だ)が増長につれて密度が漸減するとし、それが最小密度になったところがその限界域になると考える。その限界域では質料と光が合わさった完全状態が生じ、こうしてできたものが第一の天球だとされる。するとそこから別の種の光(lumen)が球の中心に向けて発せられ、不完全な質料(それは純粋ではなく、不透明だ)をさらっては圧縮していく。こうして内側の質料も漸進的に完全なものとなり限界点に達すると、そこで第二の天球が生じる。アリストテレスのコスモロジーでは第一天とされる恒星天だ。次にその第二の天球から同じようにlumenが発せられ……この繰り返しで最終的には月の天球(第九の天球)までが作られる。最後の月下世界では、もはやlumenの発出は十分ではなく、完全な物体が宿す円周運動ができない……。