バークリーの観念論

いくつか読んでみて、電子書籍をモバイルデバイスで読むというスタイルにも慣れてきた。とくに新書や文庫はこれで/これがいいのではないかという気さえしてくる。もちろんまだ、新刊と同時に電子書籍化されないものも多いので、それは致し方ないけれど。

観念論の教室 (ちくま新書)で、これもまた電子書籍でだけれど、バークリーの観念論に関する入門書を読んでみた。冨田恭彦『観念論の教室 (ちくま新書)』(筑摩書房、2015)。よく整理されていて好感。バークリーの観念論といえば、人間の知覚はどもまでいっても観念でしかなく、外部世界それ自体にアクセスすることは決してできないというもの。ある意味唯名論をさらに押し進めて、個物そのものの存在すら否定してかかるという極北の思想だ。その観念一元論の世界には因果関係すらないとされる。すべては神の意志にもとづいて同時的に生じるのでしかない、と。翻って神だけは実在するとされ、それがすべてを司るのだ、と。興味深いのは、やはり著者による批判が展開されるところ。当然、すべてが知覚=観念であるとするなら、その担保としての神が外部世界に実在するという認識はどこからくるのか、という疑問点なども指摘される。また、バークリーのそもそもの出発点になっているのはやはりジョン・ロック流の、外的世界を認める二重存在説なのだといい、バークリーの議論の構成が、そのあたりを問わない形で展開するようになっているところなども鋭く突いている。

一方、そうした上で、著者がバークリーの観念論をある意味好意的に見ている点も好感がもてる。デカルトなどの孤独な主体性を「暗い観念論」とし、対するバークリーのものを、神も他人も認める(モノだけは認めない)という点で「明るい観念論」だとして、そこに「知的魅力」を感じると評している。この対象愛が、同書の全体を「明るい」ものにしている気がする。

風景画の楽しみ

もう終わる展覧会だけれど、先日「風景画の誕生」展に足を運んだ。ウィーン美術史美術館所蔵作品の展示会で、なかなか見応えがあり、最近では珍しく図録も購入してしまった(笑)。主に宗教画の後景としてどこか抽象的で作り物めいていた風景描写が、次第に具体性を増しつつ前面に躍り出てくる様子がわかるという展示構成。いつしか主題そっちのけで画面全体を文字通り覆っていくところがとても面白い。参考展示の時祷書のコーナーなどはレプリカが手で触れるようになっていて、こういう触感的な展示もとてもいいと思った。

Le détailで、これに関連して(というか、ちょうど読みかけだからだけれど)ダニエル・アラスが『ディテール:絵画の近接的歴史のために』(Daniel Arasse, Le détail – pour une histoire rapprochée de la peinture, Flammarion, 1996)で触れているのだけれど、風景画は画布の表面を視線が這うようにして精査するという実践の最たるものだという。同感だ。風景画が風景画として成立するのは15世紀以降だという。表されている要素の豊富さが特徴で、歴史画などの細部の省略要請に反して、風景画は細部の過剰を許容していく、と。アラスは、そうした風景のディテールの楽しみについてアルベルティを引用し、それがもたらす散策の夢想についてディドロを引用し、その楽しみが細部への接近と遠ざかりとの「揺れ」と、それによる視線の解体、脱局所化dislocalisation)にあることをジラルダン侯爵を引用して指摘してみせている。なかなか見事な分析と筆捌き。

占星術の落日

『ケンブリッジ科学史』シリーズの第三巻「近代初期の科学」(The Cambridge History of Science Volume 3: Early Modern Science, ed. K. Park & L.Daston, Cambridge University Press, 2006)所収の、H.ダレル・ラトキン「占星術」(H. Darrel Rutkin, Astrology, chap.23 )がダウンロードできるようになっている。というわけで早速読んでみた。基本的に、17世紀から18世紀にかけての占星術の衰退にスポットが当てられている。占星術がなにゆえ、またいかにして実際にそういう状況になっていったのかについては、まだまだ研究途上ということらしい。占星術への批判は15世紀くらいからあって、とりわけピコ・デラ・ミランドラなどが有名ではあるけれど、それは散発的でさほど影響力をもっていたわけではなかったようだ。16世紀も同様で、たとえばコペルニクスも批判的だったとはいえ、ガリレイやケプラーなどは占星術を実践し続けている(ケプラーなどはその変革を試みていたというが)。批判する側も、実践する側も、それぞれ長い系譜が出来ていて、ラトキンのこの素描では、本格的な落日となる18世紀にいたるまで両者は拮抗する印象だ。衰退が顕著になっていく過程はまだ十分に理解されていないといい、そのためのアプローチが提唱されている。とくに挙げられているのが、学問を取り巻く環境の変化と大学のカリキュラムの検討だ。17世紀に数学から占星術を外す動きが出、18世紀には天体暦(天体位置表など)からの排除もなされるようになるのだとか。やがてそれはエリートの文化圏を離れて、民衆文化の中に息づくことになっていく。この凋落については、政治的な有用性が失われたことが大きいのではないか、と著者は指摘している。

個人的に面白そうだと思ったのは、デカルトの反占星術の影響圏で自然学の教科書を執筆していたというジャック・ロオー(Jacques Rohault)という人物。この人物の著書は、オリジナルの仏語版もさることながら、ニュートンの弟子だったサミュエル・クラークによるラテン語訳、さらにその弟による英訳で広く流布したのだとか。なかなかそちらまで手を伸ばせない感じではあるけれど、ちょっと気になるところではある。

ジャック・ロオーの肖像
ジャック・ロオーの肖像