で、これに関連して(というか、ちょうど読みかけだからだけれど)ダニエル・アラスが『ディテール:絵画の近接的歴史のために』(Daniel Arasse, Le détail – pour une histoire rapprochée de la peinture, Flammarion, 1996)で触れているのだけれど、風景画は画布の表面を視線が這うようにして精査するという実践の最たるものだという。同感だ。風景画が風景画として成立するのは15世紀以降だという。表されている要素の豊富さが特徴で、歴史画などの細部の省略要請に反して、風景画は細部の過剰を許容していく、と。アラスは、そうした風景のディテールの楽しみについてアルベルティを引用し、それがもたらす散策の夢想についてディドロを引用し、その楽しみが細部への接近と遠ざかりとの「揺れ」と、それによる視線の解体、脱局所化dislocalisation)にあることをジラルダン侯爵を引用して指摘してみせている。なかなか見事な分析と筆捌き。
『ケンブリッジ科学史』シリーズの第三巻「近代初期の科学」(The Cambridge History of Science Volume 3: Early Modern Science, ed. K. Park & L.Daston, Cambridge University Press, 2006)所収の、H.ダレル・ラトキン「占星術」(H. Darrel Rutkin, Astrology, chap.23 )がダウンロードできるようになっている。というわけで早速読んでみた。基本的に、17世紀から18世紀にかけての占星術の衰退にスポットが当てられている。占星術がなにゆえ、またいかにして実際にそういう状況になっていったのかについては、まだまだ研究途上ということらしい。占星術への批判は15世紀くらいからあって、とりわけピコ・デラ・ミランドラなどが有名ではあるけれど、それは散発的でさほど影響力をもっていたわけではなかったようだ。16世紀も同様で、たとえばコペルニクスも批判的だったとはいえ、ガリレイやケプラーなどは占星術を実践し続けている(ケプラーなどはその変革を試みていたというが)。批判する側も、実践する側も、それぞれ長い系譜が出来ていて、ラトキンのこの素描では、本格的な落日となる18世紀にいたるまで両者は拮抗する印象だ。衰退が顕著になっていく過程はまだ十分に理解されていないといい、そのためのアプローチが提唱されている。とくに挙げられているのが、学問を取り巻く環境の変化と大学のカリキュラムの検討だ。17世紀に数学から占星術を外す動きが出、18世紀には天体暦(天体位置表など)からの排除もなされるようになるのだとか。やがてそれはエリートの文化圏を離れて、民衆文化の中に息づくことになっていく。この凋落については、政治的な有用性が失われたことが大きいのではないか、と著者は指摘している。