【書籍】ソウル・ハンターズ

刷新の人類学


レーン・ウィスラーレフ著。シベリアの狩猟民族ユカギール人のフィールドワークをもとに、人類学の知見を刷新しようとする野心作。シャーマニズムやアニミズムに、性急に宗教体系を見いだすのではなく、それらが日常的な実践知であることを蕩々と説いていきます(ミシェル・ド・セルトーとか思い出します)。なかなか読ませます。途中でラカンの精神分析が言及されたりもしますが、それはまあご愛敬、というところでしょうか。

Early Greek Philosophy IV

4巻はピュタゴラス学派


Loeb版の『初期ギリシア哲学』の4巻目、読了。

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イオニア学派を扱った2巻、3巻に続き、この4巻はギリシア西部と題して、いわゆるイタリア学派の前編、ピュタゴラス派について。続く5巻はエレア派。

【書籍】情念の経済学

「経済学」の構築


 ガブリエル・タルドは『模倣の法則』で知られる19世紀後半の社会学者ですね。ドゥルーズなどが注目したことで、長い眠りから覚めたかのように、再評価されました。今回の『情念の経済学』は、著作集の刊行に寄せたブリュノ・ラトゥールとヴァンサン・レピネの序論です。

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 で、これはなかなか面白い一冊でした。経済学は社会経済を反映しているのではなく、むしろ経済(活動)のほうが、経済学があるからこそ成立する「構築物」であって、その経済学も、取り扱うごくごく限定的な数量で成り立っている限定的理論にすぎない、とタルドは考えていたとされます。経済学はもとより大雑把なもので、それが精緻化するには、価格とか商品の数量とかに限定されない、もっと広範囲の数量化が必要、と説いているのだ、と。

 同書の解釈では、たとえば需要と供給の関係が均衡するといったこともタルドは認めません。需要?供給?そんな実体があるのではなく、要は売り手と買い手との取引が、模倣の理論に則ってネットワーク化されていくだけだ、と。ネットワークがあるだけならば、実体としての社会というものもないんじゃないの、というところにまでタルドは行っている、といいます。結局、レッセ・フェールで放っておけば均衡するようなものは何もなく、社会というものがありうるとすれば、それを構成する成員たちが、意図的に働きかけをする以外にない、というわけなのですね。ラトゥールらのこうした解釈は、タルドの読みとして妥当かどうか検証の余地もあるかと思いますが、とても刺激的な解釈であることは間違いありません。タルド自身に、そうした先鋭的なところがあったのは間違いないでしょう。

 また、タルド自身が基本的に独学者(最近、独学は社会的なキーワードになってきていますね)であった事実も、なにやらとても刺激的です。

“Les fondations du Savoir historique”

古物愛好と歴史のはざま


 アルナルド・モミリアーノの仏語訳を読んでいくというプロジェクトも、この『歴史的知識の基礎づけ』でほぼ一段落。原書はArnaldo Momigliano, "The Classical Foundations of Modern Historiography", University of California Press, 1990。仏訳はLes Belles Lettres, 1992-2004。とくに古物愛好と歴史学の、どこか緊張感漂う関係性について論じた第三章が印象的でした。

 ルネサンス時代の貴族が示した古物愛好熱は、趣味的に閉じたものだったようですが、モミリアーノは、そうした断片的なこだわりの知識と、正統とされる歴史学との、どこか緊張感をはらんだ並列関係を形作っていきます。その並列関係の端緒は、トゥキュディデスに見いだされるといいます。

 モミリアーノがよく持ち出す仮説に、トゥキュディデスこそが政治史を歴史の中心に置く伝統の始祖だという説がありますが、ここでもそれが生きています。ヘロドトスの歴史記述はどちらかというと民族誌的なものでしたが、トゥキュディデスによってそれらは完全に脇に置かれ、年代記的な政治史が記述の中心に据えられます。しかし、そうして無視されるようになった民族誌的なディテールは、とくにヘレニズム期以降、古物愛好というかたちで生き残ったようだというのです。

 中世の神学者などを経てルネサンス期に受け継がれた嗜好は、その後も続いていきます。17世紀以降の歴史学者や哲学者たちは、そうした古物愛好を軽んじ、蔑みますが、時代が下るにつれ、ときにはそれらが歴史学の本流に影響を与えるようにもなってきます。

 昨今、独学・独習が盛んに取り沙汰されている感じもありますが、これもどこかそうした古物愛好的なものの伝統に、根っこの部分でつながっている動きのような気もします。正統なアカデミズムに必ずしも組み込まれない、けれども重要かもしれないそうした裾野的な活動が、いつか大きな流れになっていったらよいなあと、わたしのような一介の人文書ファンも強く思う次第です。

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