シン実存主義?

あるいはシン二元論の試み?


 個人的にマルクス・ガブリエルはピンと来ないのですが、タイトルが気になったので、『新実存主義』(廣瀬覚訳、岩波新書、2020)を読んでみました。

https://amzn.to/3yBBtaq

 前の『なぜ世界は存在しないのか』もそうでしたし、その後にNHKで放送された連続インタビュー番組などでもそうでしたが、ガブリエルのスタイルは、どこかサンドボックス(砂場ですね)のようなものを作り上げて、それをなんとか一般化しようとするかのようです。そういう操作の妥当性はどうなのか、と思い始めると、微妙に煮え切らない感じが残ってしまいます。

 今回の議論では、心的なものを脳の機能に還元するような、自然科学にもとづく一元論(近年優勢な立場ですね)に対して、人間の精神活動の異次元性を唱え、あえて二元論を擁護しようとしています。これを新実存主義と称し、かつての実存主義の即自(つまりはモノですね)と対自(人間固有の自己認識的主体)に重ねるかのように、自然種(自然科学の対象)と精神(人間固有の説明構造)とを別次元のものとして対比しています。

 この立場そのものは結構面白いと思うのですが、喩え話などがサンドボックス的で、たとえば自転車とサイクリングの違いなど、卑近な例をもってくるのですけれど、それを一般的な話へと敷衍する段になって、微妙に話をそらすというか、煙に巻くというか……。自然種と説明構造は、どちらも全体化できないとされ(二元論ですから当然といえば当然かもしれませんが)、翻ってどちらもどこかフラット(均質的)で曖昧な印象を与えます。

 おそらくは哲学の独自性を確保しようとするための二元論戦略なのでしょうけれど、かえって哲学の占める場所(こういう言い方に、ガブリエルはすぐに応酬してきそうですが)や深みが縮小していくことにならないか、と心配です(誤解であるなら余計な心配かもしれませんけれど)。