【書籍】ブルシット・ジョブ

資本主義の命運


 連休中に、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ——クソどうでもいい仕事の理論』(酒井隆史訳、岩波書店、2020)を読んでみました。著者はこの邦訳が出てまもなく急逝してしまいました。世の中の役に立っていないと当事者本人が蔑むような仕事、ほとんど何のためにあるのかわからないように思える仕事が、世の中にますますあふれかえるようになったのは、実は資本主義が抱える構造的なひずみ、その当然の帰結にほかならなかった、と著者グレーバーは喝破してみせます。まさに慧眼ですね。

 ひずみというのはつまり、経営者層と労働者側との圧倒的な格差にほかなりません。前者は、著者言うところの「経営封建制度」によって守られ、自由市場という幻想の裏で権力などと結託して財をなします(かつて、やはり急逝したベルナール・マリスなども、自由な市場というものはまったく存在していないのだと説いていたのを思い出します)。

 一方の後者は、中世の神学的議論を個々人に移し替えた北ヨーロッパの思想的伝統(プロテスタンティズムがその中心ですが、思想そのものはそのかなり前、中世のころからありました)ゆえにか、人は労働しなければならないという教えをたたき込まれ、多様な価値を奉じるどころか、単一の金銭的価値(労働価値)だけの奴隷のようになって、つまらない、無意味だと自身が感じる仕事に精を出すことになるという次第です。

 その両者を支えているのは、同じ資本主義経済のイデオロギー(名ばかりの効率の偏重、生産者主義から消費主義への流れなど)であり、やはり経済学の理論がそれを強化している(人間の複合的な動機を、あえて計算機械のように単純化してしまうことなど)ということになります。

 ここから抜け出す方途はあるのでしょうか。生活と労働とを切り離すための手段として、ベーシックインカムの議論を取り上げたりもしていますが、どこか懐疑的な扱いでもあるように思えます。グレーバーはあくまで、現状認識を変えるための批評として同書を著しているのだと強調しています。ここでもまた、従来のものとは別様の数量化、データ化がキーになるような気もします。ベンサムの功利主義などを、拡張するようなことはできないものかしら、などなど。

 (初出:deltographos.com 2021年5月8日)