オデュッセイアに思う

過去にダイジェスト本であらすじを追ったり、部分的に原文購読をしてみたりもしたホメロス『オデュッセイア』。映画監督のクリストファー・ノーランが次回作の題材とするらしいという話もあることから、ここいらで改めて通読してみることに。kindle unlimitedに呉茂一訳のグーテンベルク21版が上下巻で入っていて、前々から気になっていたというのももちろんあります。これ、もとは集英社の世界文学全集(1974年)に入っていたもののようです。ちょっと古い表現に引っかかりはありますが、総じてとても読みやすい訳文になっています。
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基本的におとぎ話的な筋立てが、様々な口上でもって彩られ(クリシェも含めて)、複雑な語りの表現(長々と語られる身の上や、やたら細かい行動の描写などなど)をともなって展開していきます。登場人物たちの動きに天上の神々が介入してくるあたりが特徴的なわけですが、この「異次元での手打ちで問題解決」みたいな構造は、近年のアニメとか(とくにジブリアニメなど)でも踏襲されているわけですけれど(個人的にはあまり好みではありませんが)、ホメロスの場合は意外なほど気になりません。それほど、語りが輻輳化・複雑化しているということでしょうか。クライマックスの殺戮劇の部分などはとても活劇的で盛り上がります(笑)。

クリストファー・ノーランがこの題材をどう描くのかが気になります。ノーランは一般的に、いろいろな要素を盛り込みつつも、わりとしっかりした視点を据えて作品全体を構築するような気がしています。たとえば『オッペンハイマー』などは、あまり原爆開発そのものを前景に持ってこず(日本での公開が遅れたのはちょっと勇み足だった気がします)、人間関係におけるほんのわずかなボタンのかけ違いが、のちに大きなトラブルに発展していくさまを、おもにオッペンハイマーとストローズの対立の構図で描き出した作品になっていたように思います。
https://www.imdb.com/title/tt15398776/

では『オデュッセイア』では、どのあたりをどう前景化して映像化するのでしょうね。今から楽しみです。

ふたたび創作・製作奨励の本

ちょうど一年前くらいに出て、ネットなどでもちょっと話題になっていたような気がした千葉雅也『センスの哲学』。kindle unlimitedに入ったようなので、早速読んでみました。おお、これも悪くないですね。柔らかい語り口による哲学入門という感じです。最近はこういう本が多くなってきて、時代を感じさせるものがありますが、一方でゴリゴリに難解な議論をふっかけてくるようなものが無くなっていくのも、ちょっとさみしいように思います。ま、それはともかく。

同書は、「センスがいい・悪い」というときの「センス」をキーワードに、ドゥルーズ哲学のほうへ、とりわけ芸術論のほうへと接近していきます。
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著者は「センス」の基礎が、「反復」と「差異」に帰着することを示します。ドゥルーズ的なキーワード「強度」も、強弱の「リズム」と言い換えてみせます。絵画でも音楽でも、文学でもグルメでも、なんらかの文化的な作品を鑑賞する際に、鑑賞者に訴えてくるものの正体とは、実はこの「リズム」なのだ、というわけです。あらゆるものはパターンとその破れから成る、と。この破れという部分が重要で、著者はこれを「予測誤差」と捉えます。予測できる安心感と、それを覆らせる意外性、ですね。つまり偶然性がどのくらい入り込むかです。そのさじ加減で、美であったり、カント的な崇高(圧倒的な美)であったり、作品に対する鑑賞者の感じる味わいが多様化するわけですね。

この本のいいところは、そうした議論から、個々人が行う創作・製作行為をも見据えていこうとしているところです。先の「庭」の話とも通じている話ですが、鑑賞者の味わいは、そのまま裏返って、創作者の味わいにもなります。それこそがもしかしたら重要かもしれない、と。人が生きる・生きていく、そのための<根本的な必然性>ゆえにこそ、外部にはたらきかけていくための反復もまた必要になっていくのだ、と。これはAIにはなしえないことだ、と著者は言っています。そういう根本の必然性に支えられたアウトプットが、原理的にありえないからです。この断絶ゆえに、AIの先にあるとされるAGI(人間の知能に匹敵するような汎用的な人工知能)というのは、もしかしたら案外遠いものなのかもしれないなあ、とちょっと思いました(どうなるかはわかりませんけどね)。

とりあえず、個人の創作的行為(鑑賞もまたある意味そういう行為にほからないでしょう)の、この上ない賛美・推奨の書として、同書を受け止めておきたいと思います。

時代劇とストイックさ

アマプラに入った『侍タイムトリッパー』を観てみました。序盤は昔のドリフのギャグみたいな感じで少し乗れない感じでしたが、途中から俄然面白くなりました。クライマックスの「真剣勝負」は迫力満点の見事な出来ですね。
https://www.imdb.com/title/tt32277931/

作品はメタ要素を入れてコメディやSFなどとのクロスオーバーみたいな感じになっていますが、テーマとしての時代劇のありようを、殺陣という要素から考察しているような感じも悪くありません。で、なにより良いのが、主人公のストイックさでしょうか。最近の時代劇の主人公に共通するキャラ設定です。これぞまさに時代劇の王道、という風でもあります。

フランスで公開が始まって好評だという『碁盤切り』の主人公も、まさにそんな感じでした。刀を振り回すだけが時代劇ではない、というところに力点があるように思われるストーリー展開も魅力的です。囲碁の因縁の決着は、やっぱり囲碁でつけないと、みたいな。これもジャンルとしての時代劇に、その本来の面白さの本質はどこにあるのかを考察した末の、一つの回答という感じです。ちなみにこれ、imdbのデータベースでは英語題名が『Bushido』でエントリされていますね。
https://www.imdb.com/title/tt31522349/

これも最近アマプラで観ましたが、少し前の『仕掛人・藤枝梅安』(2部作)もいいですね。こちらも静謐な画面構成などが見事です。池波正太郎の原作ですが、なんともストイックな、それでいてときに荒々しい主人公を中心に、刀を振り回すだけではない新感覚時代劇という感じになっています。バディものとしての面白さもあります。とくに第2部のほうですが、刀を振り回す相手に、基本的に接近戦でなくては対応できない仕掛人がどう対応するのかが、逆に見どころになっていたりもします。
https://www.imdb.com/title/tt24076340/

考えてみると、西部劇なども近年のものほど銃撃のアクションは少なくなっているように思えます。ジャンルが深まるというのはこういうことなのかもしれませんね。より思索的・自己考察的なっていく、というか。そういう流れで新しい作品が作られていくことは、個人的にはむしろ大歓迎です。