『ニーベルンゲンの歌』の精神史……

カタストロフィと人文学西山雄二編『カタストロフィと人文学』(勁草書房、2014)を読んでみた。震災後をめぐって人文学がどういった貢献ができるのかについて、手探りでの続けられてきた様々な試行錯誤を結集した論集の一つ。人文学ではどうしても「タイムラグ」が必要とされるので、寄稿している論者たちの言葉もときにどこか要領を得ないものになったりするのだけれど(とくにフランスの論者たち)、個人的にはたとえばジゼル・ベルクマンがさりげなくデュピュイの災害論を、宗教的側面をあえて解釈しようとしているとして批判しているところなどは面白かったりもする(笑)。「津波から引き出すべきいかなる形而上学もない」というわけなのだが、ではベルクマン自身はそこでどのような思想を示すことができるのだろう、という点が気になる(収録の文章からはまだ今一つ窺えない……)。

やはり個人的関心からの注目は、第四部の「カタストロフィの比較文化」。この中に第八章として、山本潤「破滅の神話−−近代以降の『ニーベルンゲンの歌』受容とドイツ史」という論考が収録されていて、これをとりわけ面白く読んだ。『ニーベルンゲンの歌』(成立は13世紀初頭とされる)は、本来なら後日談に相当する『ニーベルンゲンの哀歌』とペアで伝承・受容されるべきものだったのに、いったん忘却されて18世紀に再発見されたとき、すでにして『哀歌』が切り離され、本来の姿からすればいびつな形で流布されていったのだという。再発見を手がけたボードマーは、この叙事詩を『イリアス』に関連づけるなど、すでにしてそれを「国民叙事詩」にする基盤を作っていた。それを実際に「国民叙事詩」として称揚したのが、19世紀初頭のハーゲンで、この文学作品は「原ドイツ的美徳」(生き様ばかりか死に様をも含めた)が見出され(あるいは付加され)て、政治状況と絡んで「ドイツ史の予型的性格を帯びることになる」(p.229)とされる。さらにこの叙事詩は、第一次大戦、第二次大戦と、「その時々の政治的状況に合わせた恣意的な解釈が行われて」(p.232)いく。とくに第一次大戦後などは、敗戦のような破局的状況すらも、それを反省するどころか、民族的美徳として讃えられるといい、その祖型として『ニーベルンゲンの歌』は用いられていくのだ、と。こうした「偏向受容」、「主観的な「あるべき姿」の投影を見出し、それに合わせて作品自体を理想の枠へとはめ込む形」(p.240)での「再発見」は、なるほど後付け的に見出されるしかないものなのかもしれないが、それをよりリアルタイムに近い形で認識し、イデオロギー的な偏向を脱臼させていくようなことはできないのだろうか、というようなことを考えてみたくなる。いわば「人文学的」タイムラグこそを埋める、もしくは縮めることはできないのか、できるとしたらどうすればよいのか……という問題なのだが、さて……?