「クロスオーバー」カテゴリーアーカイブ

このところの諸々

*メルマガのほうで出てきたダマスクスのヨアンネスの小品『キリストの二つの意志、二つの本性、一つの位格について』は、TLGだけ見て「なんか見あたらないなあ」と思っていたら、Documenta Catholica Omniaのサイトにpdfファイルがあった(苦笑)。ファイルはこちら。イコン論とか『正統なる信仰について』などもいいけれど、ヨアンネスの小品というのもなかなか味わいがある。ギリシア語も比較的読みやすいし(笑)。小品めぐりをしてみるのもいいかもなあ、なんて思っているところ。

adam takahashi’s blogの9日のエントリで、τὸ θεῖον(神的なもの)のアラビア語訳がالشي الروحي(スピリチュアルなモノ)になっている場合があるという話を見て、ちょっと妄想気分が高まった(苦笑)。θεῖονを辞書で引くと、θεῖοςの中性形とは別に「硫黄」「硫黄の煙」を表す同形異義語があり、バイイの希仏辞書によると、古形に(疑問符つきながら)「息をする」の意味があったかも、みたいな話もある。ちょっとこのあたり、もう少し詳しく確認したいところだけれど(バイイでは、テオフラストスの『匂いについて』という書が挙げられていたりする)、案外この同形異義語が、アラビア語訳でのروح(スピリット、プネウマ)の訳語を導いた可能性もありそうな気がするなあ、と。さらに英語で「悪魔は硫黄臭がする」みたいに言ったりするのも(その表現、チャベス大統領がブッシュのことをそう言ったみたいな話もあったし、ホラー映画『エミリー・ローズ』とかにも出てきた)このあたりの絡みがあるのかもしれないなあ、なんて。

音楽史の書き換え……

就寝前読書から。石井宏『反音楽史』(新潮社、2004)を読了。18世紀から19世紀を中心に、音楽史のいわゆるビッグネームがいかに「ドイツ史観」に染まったものにすぎないかを示し、同時代的な実像はどうだったのかを切々と説いた一冊。西欧では長らく「音楽の本場はイタリア」とされていたのに、ドイツの音楽史家たちがその事実を黙殺・抹殺してきた流れがあるという。その礎を築いたのは、ロマン派系のドイツ人たちで、たとえばシューマンたちはロッシーニとかをかなり低く評価していた。ソナタ形式なども、本来はイタリアで成立したもの(オペラのアリア形式を器楽に取り込んだ)というが、いつの間にかそれがドイツ人の発明として「簒奪」されてしまうという。そんなわけで、たとえばヴィヴァルディが再発見されたのは20世紀になってからにすぎず、しかもそれをなしたのはレコード会社だったという。18世紀当時、大バッハが無名だったという話は有名だけれど、一方で同時代的に著名人となったのはバッハの後妻の末っ子ヨハン・クリスティアン・バッハなのだそうで、イタリア留学を果たし(ドイツの音楽家が世に出るためにはイタリアで箔を付けないといけなかったという)、ロンドンで名声を得ているという。今年がメモリアルイヤーだったヘンデルも、J.C.バッハに先んじて同じくイタリア留学を果たし、同じくロンドンで出世する。やはりメモリアルイヤーのハイドンは、そうした留学経験がなく、ハンガリー貴族のもとで50年あまりを過ごし、やっとのことで国際的評価を得る。けれどもそこに大量に寄せられた注文は、音楽会用序曲(シンフォニー:会場のざわめきを鎮めるためのもの)と弦楽四重奏曲(結局はBGM)にすぎなかった……などなど。

音楽史もまた様々なイデオロギー的影響を受けざるを得なかった、という話なわけだけれど、そうしたものとは別筋の歴史も徐々に書かれてきつつある感触もあり、同書などはそうした様々な知見をふんだんに取り込んでいる一冊ということになるのだろう。翻ってみれば、音楽史にかぎらず、中世史とか中世思想史、あるいはルネサンスや近世などについても、従来の「正史」の偏りや間隙などはこれからもやはり大いに問い直されていくのだろうなあと思う。いろいろと楽しみは尽きそうにない(笑)。

コンベンショナルな世界?

外出時などの空き時間読書ということで飛び飛びに読んでいた松本章男『道元の和歌』(中公新書、2005)。体裁としては、道元が詠んだ和歌を、その生涯のエピソードや歴史的背景、想定される道元の心象風景から解説するという、ある意味とてもオーソドックスな入門書。読み始めると、「こういうのを読むと和歌も作ってみたくなるなあ」なんて思ったりもしたのだが……(そう思うのはそれなりに歳食ったからかしら)(苦笑)。道元の和歌、一見すると意外に素朴な自然を詠んでいるように見え、逆にその思想的な先鋭性とどこか相容れない感じが次第に強くなってくる(道元の仏教的世界観での自然は、すべからく流れとしてある、みたいな話じゃなったっけ?)。で、同書の解説を追っていくと、徐々にそこからある種の技巧の体系という側面が浮かび上がってくる。あたかも一切がコンベンションの世界であるかのように……。

たとえば「都にはもみぢしぬらん奥山は昨夜も今朝もあられ降りけり」という句の解説には、都のもみじから奥山を思うという趣向の古い神遊びの歌や藤原俊成の句が紹介され、道元は「古来の歌の着眼点をいわば倒置しているところが新しい」(p.80)と記されていたりする。「冬草も見えぬ雪野のしらさぎはおのが姿に見を隠しつつ」という句では、中国の禅僧が夜を徹して雪の中で達磨を礼拝したという話を絡めて解説している。この句は垂訓ではないかというわけだ。それぞれの句がどれもこんな感じだとすると、表面的な詩句を指すのはもはや自然物ではなく、かなり複雑な参照体系ということになりそうだ。なるほどインターテキストって奴ですな。うわー、これもまた参照元を知らなければ何もわからないという世界かも(苦笑)。安易に和歌を作ろうなんて思ってはいかんかもね、と反省する。

「天使」は「隅石」?

ブログ「ヘルモゲネスを探して」さんのところから、今月23日のエントリに衝撃的な一言が:「天使とは角度のことであったのか?」。うーん、angelusとangulus、確かにラテン語において両者が形の上で混同されそうな感じはする。でもギリシア語まで行くとまた違う……と思いつつ、ふと思い出した。夏前ごろからずっと読んでいるピロポノスの『世界の始まりについて』6巻11章に(この箇所は、世界の支配者は人間ではなく天使だというテオドロスの説への反論を述べているところ)、天使は地上のすべてを統べるのではないが、個別の(みずからの)秩序を統べる、みたいなことが記されていた。この一文、何気なく読んでごく普通にディオニュシオス・アレオパギテスの天使の序列論を思い浮かべていたのだけれど、これを「天使こそが秩序の要(土台)だ」というふうにとると(ちょっと強引か?)、にわかにこれが「角」に結びついていきそうにも思える(笑)。なにせ隅石(土台)のことを、たとえば仏語でpierre angulaire、伊語でpietra angolareなんていうし。ちょっと妄想気分ついでに、この「隅石」、民間語源的にでいいので、遡れないか検証してみたい気もする。さしあたりウィトルウィウスあたりに何かそれっぽい言葉がないかしら、なんて。

ガリレイ

季節の変わり目という感じの天候が続いていたせいか、昨日からちょっと体調不良。まあ、ちょうどよい骨休めという感じではある……。で、今日はちょっとリハビリというわけで、先日購入した『現代思想』9月号(特集:ガリレオ、青土社)をパラパラとめくる。ガリレオがテーマになるというのは珍しい……って、なるほど今年は「世界天文年」だったし、ブレヒトの戯曲「ガリレオ(の生涯)」の新訳が出たりしているし。それにしても『現代思想』誌だけに、どの論者もガリレオを論じるにストレートなアプローチではない(笑)。もちろん興味深いエッセイや論考もあるけれど(ガリレオのデッサンについてコメントしている港千尋「望遠鏡のなかの星」および田中純「ガリレオと「見ること」」、科学史的な位置づけを前面に出したものとして伊藤邦武「ケプラーと天文学的仮説の真理」などなど)、表象系に流れず(笑)かっちりとした科学史的位置づけとか、科学史での最新の研究動向のようなものとかを扱った文章があってもよかった気がする……。

そういえば、ガリレオの父ヴィンチェンツォ・ガリレイの音楽論(というかタブラチュアのたくさん入ったリュート本)『フロニモ』の邦訳が、リュートの師匠のところでまもなく刊行予定とのこと。これ、個人的にはフライングしてリプリント版(“Il Fronimo (rist. anast. Venezia, 1569)”, Bibliotheca musica Bononiensis, 1988)を少し前に入手(笑)。まだちゃんと目を通していないのだけれど、なかなかに面白そう。