マルコ・ラマンナ「心理学の初期の来歴について」(Marco Lamanna, On the Early History of Psychology, Revista Filosófica de Coimbra, no. 38, 2010)(PDFはこちら)という論文を読んだ。中世まで霊魂論として受け継がれてきた魂に関する学知が、「心理学」(psychology)という名称に本格的に置き換わったのは16世紀末から17世紀初めということだが、同論考はその成立と普及について考察したもの。合わせてほぼ同時期に登場する「存在論」(ontology)の来歴にも触れている。実はこの「心理学」、現在確認されている最も早い例は、16世紀初めに活躍したクロアチアの人文主義者、マルコ・マルリッチの著書(Psichologia de ratione animae humanae: 1520年頃)なのだという。ただ、それが広く使われ出すのは16世紀末になってからで、中欧の宗教改革派の学問世界においてのことなのだとか。用語の定着までには紆余曲折もあったらしく(?)、scientia animasticaなんて語も使われていた(後述のジェヌア)。いずれにしてもそこには、宗教改革派によるアリストテレスの学問の復興と、従来のスコラ学の色合いを薄めるための新語法の導入という動きが文脈としてあり、同時にその学知を自然学と形而上学、あるいは第三の中間的学知のいずれに位置づけるかという議論も絡んで複雑になっていたらしい。存在論も同様で、ontosophiaなんて語もあったらしい。
少し前にメルマガのほうで、グロステストの『光について』を読んでみたのだけれど、それは宇宙開闢論にまつわる「光」(原初の物体性をもたらすとされる第一の形相)について論じたものだった。で、その時に参考にしたマッケヴォイ『ロバート・グロステストの哲学』(James Mcevoy, The Philosophy of Robert Grosseteste, Oxford University Press, 1982-2011)では、それとは別に、グロステストには「光」を学知論に結びつける議論もあることが示されていた。そのあたりは後で改めて検証しようと思っていたのだけれど、その問題に直接的にアプローチしている論考をたまたま目にすることができた。サイモン・オリヴァー「ロバート・グロステストの光・真理・経験論」(Simon Oliver, Robert Grosseteste on Light, Truth and Experimentum, Vivarium, Vol.42, No.2, 2004)という一篇。これによると、グロステストにおいて「光」は、観察、自然学、数学、形而上学、神学を結びつける重要な要素をなしているといい、基本的な図式はアウグスティヌスの照明論を引き継いでいるものの、少し後のゲントのヘンリクスの照明論などに比べると、「光」が知そのものを指し、それと渾然一体となっている点などが際立った特徴をなしているようだ。以下、メインストリームだけを要約しておこう。グロステストにおいても神の光は太陽になぞらえられているのだけれど、それは太陽が色(減衰した光)をもたらすという意味においてであり、神の光は人間に、被造物についての減衰した真理をもたらすとされるという。そこには決定的な断絶があり、人間が真理に近づくには運動や時間といったものを介さないわけにはいかない。偶有的なものの観察を通してのそうしたアプローチは、つまりは感覚を通してのアプローチということなのだけれど、被造物が「光」(コスモゴニー的な光か?)によって創造されている以上、それらの観察はすでにして光に与ることにほかならず、神のイデアという最高位の知的光への到達に向けた第一歩がそこから始まるのだとされる。この意味で、そこでの「光」とは、(ヘンリクスなどが考えているような)魂に内在する能力のみでの認識に神の照明が「付加」されるといったものではなく、最初からすべての知的営みが神の照明に与っているのだとされる。すなわち神の照明とは学知そのものである、というわけだ。なんとも強烈な照明論。主に『分析論後書注解』がこのあたりの重要文献のようなので、それもぜひチェックしたいところだ。
今年の5月にパリの社会科学高等研究院(EHESS)で行われたらしいシンポジウムでの発表原稿の一つが公開されていて、論文ですらないものなのだけれど、これがなかなか味わい深い。ステファンヌ・ムラによる「学知は可能か−−一三世紀パリの学芸部における<魂の学>の位置づけ」(Stéphane Mourad, La science est-elle possible ? Le statut de la scientia de anima à la Faculté des arts de Paris au XIIIe siècle)というもの。基本的には、ジエル、ステンベルゲン、バザンの共著『アリストテレス霊魂論への三逸名注解』(Trois Commentaires anonymes sur le traité de l’âme d’Aristote, Publications universitaires Béatrice Nauwelaerts, 1971)収録のテキストを読み比べてみるという趣向(さらに参考として、ボルドーの写本も挙げられている)。収録された霊魂論は、立場こそ違えど、いずれも同じファミリーに属する雰囲気(空気)を共有しているのだという。さらにそれらのテキストからは、魂論が神学に次ぐ重要な学知として位置づけられていることが見てとれ、しかもアリストテレスが人間霊魂について述べたことを学ぶという姿勢(狭義の霊魂論)から、学知全体への省察へと移行している様子が窺えるのだという。そのあたりの反省的知見は、当時の文脈において、神学という上位学問に対する学芸部の教師たちの、一種の劣等感を表しているかもしれないともいう。なるほど、そういう意味での「空気」ということか。発表原稿だけに、詳しい議論などは省かれているけれど、もしその「空気」というあたりを深く掘り下げるのであれば、それはぜひ論文の形で読みたいところ。
ダラス・デネリー「オートレクールのニコラによる見かけの救済論」(Dallas G. Denery II, Nicholas of Autrecourt on Saving the Appearance, Nicolas d’Autrécourt et la Faculté des Arts de Paris – actes du colloque de Paris 19-21 Mai 2005, Ed. S. Caroti et C. Grellard, Stilgraf Editrice, Cesena, 2006)(PDFはこちら)という論考を読む。前にも取り上げたように、オートレクールのニコラは懐疑論的なスタンスでアリストテレスを批判していたわけだけれど、一方でたとえば認識論に関しては、対象物の実在とその視覚的な見え方との一致(「見えるものは存在し、真理に見えるものは真理である」)を擁護する議論を展開しているという。それがどういうスタンスで、ニコラの中にどう位置づけられるのかをまとめたのがこの論考。この問題はドゥンス・スコトゥスの直観的認識の議論にまで遡る。スコトゥスは対象物の直接的な把握によって、その対象物の存在について明確な知識が得られるとした。これに疑問を寄せたのがペトルス・アウレオリで、非在の対象の直観的認識をも人はもつことができるという議論を構築してみせた。つまり非在であろうと、対象物が存在するかのように経験するのであれば、その経験を対象として直観的に知覚することは可能だというわけだ。このアウレオリの議論を受け継いでいるのが、ニコラが書簡でのやり取りをしたアレッツォのベルナールという人物。ニコラはそうした考え方に批判を寄せている。ベルナールの議論では偽の直観的認識がありうることになってしまうが、これをニコラは問題にする。ベルナールの論に従うなら、対象物の認識と対象物の実在は一致しないことになり、前者から後者を推論することも不可能になる。それでは極端な話、誰も何もわからないことになってしまう。世界の認識が失われてしまう。