「医療史・医療占星術」カテゴリーアーカイブ

トマスの占星術観とか

占星術や運命論などに関するトマス・アクィナスの小論を集めた仏訳アンソロジー本をゲットする(Thomas d’Aquin,”L’Astrologie, Les Opérations cachées de la nature, Les sorts”, Les Belles Lettres, 2008)。訳と序文はブリュノ・クイヨー。で、まずはその序文の前半部分から。基本線として挙げられているのは、中世の自然観は観察とは無縁ではないものの、やはり探求するのは具体的な現象などではなく、そうした具体物に共通するもの(概念・普遍)のほうだということ。アルベルトゥス・マグヌスのように具体のほうへと歩み寄る論者もいるけれど、トマスは端的にそういう抽象のほうを向いている、と。トマスの場合、astrologiaという用語をほとんど占星術と天文学で使い分けていないというが、このあたりも何かそうしたスタンスに関係していそうな感じも(?)。で、このastrologie、両者をひっくるめる形でトマスは自然学の一部と見なしているようなのだけれども、関心はあくまで自然において表出している抽象的なものということになる。astrologieも、アリストテレスが著書で触れるタレスが用いているような、収穫の予測など気象学と入り交じった学知として用いられ、星辰の影響はあくまで自然物に対してであって、人間の自由意志には及ばないという立場を取る。

また、トマスはときに最高天(オーベルニュのギヨームなどが示す、神の座としての天)について触れることもあるけれど、それはあくまで神学の枠内、もしくは注解としてであり、自然学そのものはそれとはっきりと区別されているという。ふむふむ、このあたりは確かにそんな感じがする。天の構成の話や天球の運動、分離実体(つまり天使や悪魔)の役割などが語られるのは神学の枠内ということになる。

やっぱり図版も必要(笑)

再び本草学関連。せっかく植物の話を見ていこうというわけなのだから、やはり図版とかもほしい。というわけで、さしあたり手頃な一冊を取り寄せてみる。M.フリーマン『西洋中世ハーブ事典』(遠山茂樹訳、八坂書房)。原書は1943年刊。うん、予想通りたくさんの図版が入っていて、これは眺めているだけでも楽しい。カラーの図版は後世のもので、18世紀のウッドヴィル『薬用植物誌』から。白黒の図版は15世紀のマインツの『健康の園(Hortus Sanitatis)』が中心で、それに後世のものをいくつか用いている。Hortus Sanitatisについては、概説がKings Collegeのページにある(→こちら)。うーん、現物も見てみたいものだなあ、と。で、話を事典のほうに戻すと、各草木の説明は簡素ながら多方面にわたっていて、もしかするとかなり有益かもしれない、という印象。しばらくはこれを傍らにおいて、いろいろ眺めることにしよう。

テオプラストス

本草学を眺めるにあたっては、やっぱり広く全体を俯瞰するところから始めたいということで、とりあえずテオプラストスの『植物誌』から押さえておくことにしたいと思い、Loeb版(Theophrastus “Enquiry into plants”, 2 vols, trans. Arthur Hort, 1916, 1926,)を少し前から読み始めているところ。基本的には序章にあたる1巻と、薬効成分に関して述べた9巻が注目どころ。あとはところどころ参照する形になるかな、と。とりあえず1巻は植物の分類についての論。基本的には形態による素朴な分類ではあるのだけれど、アリストテレスゆずりというのか、ある種の機能主義的な方法論を取っているのが面白いところ。これは思ってた以上に楽しめそうだ(笑)。

あと、基本的なところでは当然ながらプリニウスの『博物誌』も眺めておきたいところ、か。

西欧の本草学へ

偽バルトロメウス『ハーブについて』(Ps. Bartholomaeus mini de senis, “Tractatus de herbis”(cura : Iolanda Ventura, Sismel, 2009)が届く。ブリティッシュ・ライブラリー所蔵のロンドン写本だそうだけれど、モノとしてはサレルノに伝わる治療術の一つとしての本草学の概説書らしい。まだちゃんと序文に眼を通してはいないのだけれど、どうやら13世紀後半以降、おそらくは14世紀直前ぐらいに書かれたものらしいという。サレルノには古くからそういう本草学の伝統があったようで、この書にも、偽アプレイウス『草木論』(Herbarius)や、13世紀以後広く流布したという『救急法』(Circa instans)などからの引用が散見されるらしい。同じく13世紀後半から普及するアヴィセンナなどの学術的な薬学の影響はないともいい、大学などとは別の、並行医術的に拡がっていた可能性もあるらしい。うーむ、なんとも面白そうな話でないの。サレルノそのものもやはり一枚岩ではない感じだし、西欧の本草学自体もなかなか深そうで、これはちょっとじっくり見ていきたいところだ。今年の冬読書はこれかな(笑)。

病は種子から?

中世を囓りながら、ときにルネサンスに眼をやると、その違いというか距離というかになにやらクラクラすることがある(笑)。最近、パラケルスス『医師の迷宮』(澤元亙訳、ホメオパシー出版)に眼を通したのだけれど、その11節にある、病気が種子に由来するという話がちょっと衝撃的だった。「したがって元素は病気の原因ではない。元素の中に蒔かれた種子が病気の原因である」(p.163)というくだりと、「さらに認識されるべきは、病気が、体液からではなく種子から生じるということ、母からではなく父から生じるということである」(p.164)というくだり。前者の種子と後者の種子と、同じものを指しているのかどうかも微妙な感じ。あるいは母=質料、父=形相ということなのかしらとも思うのだけれど、とにかく体液のバランスを病気の原因とするような考え方はここでは一蹴されている。元素と体液は同じだ、みたいな話も出てくる。うーん、このところメルマガ関連で、中世ものの医学書(というかその概説書のようなもの)から受胎や胚の話などをいくつか読んでいるのだけれど、そこでの「種子」は大概具体的な話で、とうてい「元素(体液?)に蒔かれる」ようなものではない印象で、体液に絡むものといえば、むしろ種子が担っている精気ということになっていたみたいだった。また「種子が病気の原因」みたいな話もちょっと見あたらないような……。

でも、見逃している可能性も大きいし、病因論という観点からそれらの医学概説書、あるいはほかの資料を読み直してみたい気もしている。また、これに関連して、ルネサンスの種子理論について、以前一度ダウンロードしたものの積ん読になっていた論文に眼を通してみたのだけれど、これがむちゃくちゃ面白かった(いまさらながらですが)。先の『ミクロコスモス』(月曜社)編者のヒロ・ヒライ氏によるフラカストロ論文(仏語)。ルネサンス期には種子の概念が大幅に拡張(?)されて、心身あるいは宇宙と人体をつなぐ媒介項みたいになっている。これはまた壮大な世界観だな、と。うーん、中世も思いっきり深いけれど、ルネサンス(というか初期近代)も別の意味で深く、かつ広大だ……。