「生命、自然、コスモロジー」カテゴリーアーカイブ

ブラーエ、ケプラー、ガッサンディ

科学革命 (サイエンス・パレット)飛び石連休ということもあって、初期近代の科学史についての入門書、ローレンス・プリンチペ『科学革命 (サイエンス・パレット)』(菅谷暁、山田俊弘訳、丸善出版)をざっと眺めてみた。一六、一七世紀のいわゆる科学革命を総合的に、かつコンパクトにまとめていて、内容の凝縮された濃密な一冊になっている。これはある意味離れ業のような印象。しかも取り上げるエピソードのさじ加減などが従来の教科書的記述とは違い、着眼点も鋭い。たとえば天文学の発展。ティコ・ブラーエは従来型の紹介・概説などでは、新星の発見というよりは彗星の観測が詳しく記されるように思うのだけれど(偏見ですかね?)、同書ではむしろ新星の発見(しかもそれが恒星天にあるという発見)がもたらしたインパクトが重視されている印象。つづくケプラーにしても、教科書的にはケプラーの法則とかを強調したりすると思うのだけれど、ここではむしろ、惑星が六個であることをケプラーが正多角形を用いたモデルで説明してみせたことが比較的大きく取り上げられ、そうした推論を支えた神学的な動機が指摘されているという寸法だ。あるいは原子論。ガッサンディによるその復権もまた、神学的な裏打ちが伴っていて、原子が永遠でなく自発的に動くものでもないとされたことなどが指摘されている。

世界の見方の転換 3 ―― 世界の一元化と天文学の改革さてこのブラーエとケプラーのライン、もっと詳しく知りたい場合にちょうど手頃なのが、春ごろの刊行だった山本義隆氏の最新刊『世界の見方の転換 3 ―― 世界の一元化と天文学の改革』(みすず書房、2014)。この第三巻はまさにその両者が主役。上のティコの新星発見の場面や、ケプラーの正多面体でのモデルの話なども当然触れられている。これまでの著作でもそうだったけれど、氏の著作では取り上げる人物たちの生涯やその時代背景などが幅広く、かつ細かく言及される。そういうディテールでぐいぐい引っ張っていく感じは今回も健在。そんなわけだから、ブラーエとケプラーが主役ながら、ガッサンディもちょっとだけ登場したりする(笑)。なるほどガッサンディはコペルニクスの理論を評価していたものの、宗教上の立場からティコの体系を支持せざるを得なかった、と。この話、以前ほかにもどこかで読んだ気がするが、ちょっと思い出せない(苦笑)。ちなみに上の『科学革命』では、ガッサンディは1631年に、ケプラーが予測していた水星の太陽面通過を始めて目撃した人物だとされている。なるほど。

グロステストをモデリング?!

わーお。一見とんでもなくキワモノに見えるものの(苦笑)、これはこれでとても興味深い研究だ。リチャード・バウワーほかによる「中世の多元宇宙:一三世紀のロバート・グロステスト宇宙論の数学的モデリング」(Richard G. Brower et al., A Medieval Multiverse: Mathematical Modelling of the 13th Century Universe of Robert Grosseteste, Nature, Vol.507, 2014)。今メルマガのほうで読み始めているグロステストの『光について』(De luce)が描く、第一形相としての光の拡散による物質世界を延長と、それによる諸天の形成というヴィジョンを、数学的なモデリングでもって描き出してみようというもの。先に西川アサキ氏によるライプニッツのモナドロジーのモデリングがあったけれど、これもある意味で同じような学際的研究。グロステストは『光について』で、光(lux)が質料に次元的な延長をもたらすものの、質料の半径(つまりは光の放射域だ)が増長につれて密度が漸減するとし、それが最小密度になったところがその限界域になると考える。その限界域では質料と光が合わさった完全状態が生じ、こうしてできたものが第一の天球だとされる。するとそこから別の種の光(lumen)が球の中心に向けて発せられ、不完全な質料(それは純粋ではなく、不透明だ)をさらっては圧縮していく。こうして内側の質料も漸進的に完全なものとなり限界点に達すると、そこで第二の天球が生じる。アリストテレスのコスモロジーでは第一天とされる恒星天だ。次にその第二の天球から同じようにlumenが発せられ……この繰り返しで最終的には月の天球(第九の天球)までが作られる。最後の月下世界では、もはやlumenの発出は十分ではなく、完全な物体が宿す円周運動ができない……。

こうしたlumenの動きとその減速要因などを、数学的なモデルで表し、コンピュータシミュレーションにかけてみるというのがこの論文の主要な報告内容だ。門外漢なのでモデルの細かい点についてはコメントできないけれど、かなり面白い結果が出ていることはわかる。そのままではlumenが形作る天球があまりに多くなりすぎるのだという。それを制限するためには、lumenの強度と不透明性が相当高くなければならないのだといい、結果的に、限定数の天球をもつ安定的な宇宙というのはかなり特殊なパラメータの結合状態で、きわめて例外的であることが示されている。なるほどねえ。同論考は、アンセルムスなどは神学的議論の中で、複数の世界(多元宇宙)の可能性について議論しているとした上で、ではグロステストはどの程度、他の世界の可能性について考察していただろうかと問うているが(13世紀を通じて、そうした可能世界についての議論が存在すると指摘している)、そのあたりはまさしく気になるところだ(笑)。

ペトルス・アピアヌス(ペーター・アピアン)『宇宙形状誌』の挿絵(1539)
ペトルス・アピアヌス(ペーター・アピアン)『宇宙形状誌』の挿絵(1539)

年始代わりの二本

年が変わって2014年。今年もぼちぼちとやっていきたいと思う(笑)。今年も引き続き中世後期からルネサンス初期にかけてを重点的にめぐりたいし、デカルト周辺、さらに後の時代などももう少しめぐっていけたらと思う。でもま、欲張るとロクなことはないので(苦笑)、あまり無理はしないようにしよう。昨年は年末にかけて少し「政治論」の前景化が個人的にもテーマになってきたりもした。ま、もちろんそれは身近な情勢が影響しているわけなんだけれども。これもまた一つの軸になる……のかしら?

というわけで、今年の一発目は昨年末に読んだ論考から。まずマヌフイア・バーチャム「自然的理性による統治:中世後期・初期ルネサンス期の政治腐敗の概念」(Manuhuia Barcham, Rule by Natural Reason: Late Medieal and early Renaissance conceptions of political corruption, in Corruption – Expanding the Focus, ANU E Press, 2012)。西欧の中世からルネサンス、さらには初期近代へと、政治についての議論がどのように変わっていったか、概略をまとめた論文。書かれていることはさほど目新しくはないけれど、一応の基本線として押さえておくのは有益かな、と。政治論はやはり、現実的な政治のある種の腐敗を受けて練り上げられるもののようで、地上での善の追求として「秩序」を考えるという古代のアプローチしかり、キリスト教の文脈において統治者の「徳」を考える議論(12世紀)しかり、各種の政体の比較論(13世紀)しかり、北イタリアの都市国家における指導者概念への市民概念の包摂(人文主義時代)しかり。マキャベッリやグイッチャルディーニにいたると、統治者の徳と統治の質とが切り離されて論じられるようになり、再び古代の秩序論が復活する、という流れ。前のアッシュワース論文にあった政治コミュニティの「セキュリティ」重視に加えて、「繁栄」が重んじられるようになるのも、場所的にも時代的にもどうやらそのあたりかららしい。

もう一本、こちらは科学史のペーパーだけれど、同じく基本的なもの。オーウェン・ギンガリッチ「ガリレオ、望遠鏡の衝撃と近代天文学の誕生」(Owen Gingerich, Galileo, the Impact of the Telescope, and the Birth of Modern Astronomy, Proceedings of the American Philosophical Society, Vol. 155 Issue 2, 2011)。地動説の証明においてガリレオが果たした役割についてまとめられたもの。プトレマイオスの周転円説で説明がつかない現象(惑星の逆行が太陽と逆の位置でのみ起きること)の説明として登場したコペルニクス説は、トマス・ディッグスの書や、ミヒャエル・メストリンの弟子ケプラーの著書を経てガリレオに受け継がれる。1609年、ガリレオは望遠鏡を独自に改良し(倍率を20倍にした)、月が地球に似ていることや(アリストテレス的天体観からの決別)、木星に衛星があることなどを発見する。発見はコペルニクスの体系を証明するものではなかったにせよ(惑星は太陽の周りを回るが、太陽そのものは地球の周りを回るとしたティコ・ブラーエの別モデルでも説明はついた)、少なくともまったく新しい自然学的枠組みをもたらすものではあった、と著者。16世紀の天文学者たちはすでに、惑星の位置計算についてはコペルニクス説を受け入れていたというが、それが自然学的な現実を表すとは考えていなかったといい、ガリレオ裁判に先立ってベラルミーノ枢機卿はガリレオに、数学的なモデルとして「太陽が不動だと考えればよりよい説明がもたらされると述べるなら問題はないが、太陽が実際に中心をなしていると主張するのは危険だ」と諭していたという(教会側も一般人も、地球が実際に動くという話自体はナンセンスと受け止めていた)。なにやらこのあたりは、学問的な受容に際して技術的な部分が先行するという、一種のプラグマティズムを感じさせて興味深い。

関連文献:

ビュリダンの霊魂論から

John Buridan: Portrait of a Fourteenth-Century Arts Master (Publications in Medieval Studies)ジャン・ビュリダン(14世紀)に関するジャック・ズプコの研究書(Jack Zupko, John Buridan: Portrait of a Fourteenth-Century Arts Master , University of Notre Dame Press, 2003)を飛び飛びに眺めているところ。とりあえず個人的には、心身問題というか霊魂論についてまとめられている11章にとりわけ興味が湧く。というわけで、その概説を簡単にまとめておこう。著者によるとビュリダンは基本的に動物・植物の魂と人間の魂とを分けて考え、前者は物質の集合体で生物学的機能で定義される延長的な力をもち、可滅的なものだとされている。対する後者は非物質的・不滅的・創造されたもので、数的には多であるとされる。ビュリダンにおいては、動物や植物の魂は身体全体に広がっており、各器官での分化については潜在性(可能態)の近接・遠隔という議論で説明されているという。つまりこういうことだ。動物における感覚的機能は特定の器官で発現しているわけだけれども、機能をもたらしている魂自体は全体に広がっているため、たとえば動物の任意の各部(足でもなんでも)に視覚や聴覚の「遠隔的な」可能性があるのだという。ただしその器官がそれらの機能を「近接的な」可能性へと高める配置になっていないため、発現しないのだというわけだ。また、動植物の魂というのは同一であり、植物的魂と感覚的魂の区別などは言葉の問題にすぎないと、いかにも唯名論的な立場を取ってもいる。このあたりもなかなか興味深い。

しかしながらもっと興味深いのはやはり人間霊魂に関する話。非物質的で分割不可能なもの(すなわち魂)が、物質的で分割可能なもの(すなわち肉体)に備わる・宿るとはどういうことか、それをビュリダンはどう考えているのか……。まず魂は肉体に、外接的(circumscriptive:境界画定的)にではなく、規定的(definitive:内充的)に宿るのだという。つまり「全体に全体が、部分に部分が」宿るのではなく、「全体に全体が、部分にも全体が」宿るというわけだ。しかしながら現実問題として、知性のような分割不可能なものが分割可能な基体にそのような形で宿ることは不可能だということにもなる。こうしてアヴェロエスは、知性の非物質的な部分は身体に宿ってはいないと結論づけることになった。一方のビュリダンはというと、知的魂を超越論的な実体とするアヴェロエス的な結論を斥け、知性的魂はあくまで人間の身体に、全体が部分に宿るという形で宿るのだという立場にこだわり続ける。上の規定的・内充的な内在は非通約的・無理的(non-commensurable)な関係とも言い換えられている。ビュリダンは当然ながら様々な異論への論理学的な反論も用意してはいる。ただ、そこから先の具体的説明を、ビュリダンは神学の側へと差し戻してしまう。非通約的・無理的な内在は、自然学が論証的に説明しうることではないとして、それを神の奇跡に帰着させてしまうのだ。哲学者としての降伏?いやいや、少なくともこの著者は、ビュリダンの「説明放棄」は限定的なものだとして、アウグスティヌスが奇跡について述べた言葉を挙げている。いわく「奇跡的な事象は自然に反して起きるのではなく、自然について知られていることに反して起きるのである」。無理的な内在は自然に反するのではなく、限界とされているのはあくまでそれを自然学の論述で証すことなのだ、と……。

中国のイスラム天文学

これは論文ではなくて研究紹介記事なのだけれど、オルトラン・フーバー「中世の中国におけるイスラム系天文学」(Ortrun Huber, Islamic Astronomy in Medieval China, Insight LMU, Issue 2, 2010)という短文を面白く読んだ。これは主にベンノ・ヴァン・ダレンという科学史の研究者が取り組んでいる、中国の元の時代に見られたイスラム天文学の伝播についての研究を紹介したもの。元の時代である1271年に、フビライは北京にイスラム式の天文台(回回司天台)を設置し、イラン出身の天文学者ジャマールッディーンがその初代の長を務めた。中国式の天文台(司天監)も併存していて、ジャマールッディーンは後にその両方を監督する立場になったいう。回回司天台は40人ほどの職員を擁し、イランから持ち込まれたかもしくは国内で復元された観測機器を用いて天体観測を行っていたらしい。アーミラリー天球儀や各種の日時計など、中国でそうした機器が使われていたことはマルコ・ポーロの記述にもあるそうだ。当時の成果はというと、もとの記録こそ失われているものの、ペルシアやアラブの写本、あるいは中国の文献から再構築が可能なのだとか。中国の文献としては、続く明の時代に翻訳されて流入した天文学書があり、最も重要なものは『回回暦法(Huihui lifa)』だとされる。もとはペルシアに由来する天文学のハンドブック(zijes)だそうで、ほぼすべてがプトレマイオスの『アルマゲスト』に準拠しているという。ほかに1366年にモンゴルの総督に仕えたとされるアル・サンジュフィニという天文学者が記した暦法の書もあるようなのだけれど、この二つの中国の文献がいずれも共通の文献を参照している可能性があるといい(数学的な内容などから推測されるらしい)、それはフビライ時代に回回司天台に務めていたムスリム系の天文学者の手によるものなのではないか、と。いや〜、このあたりの話はなかなか興味をそそるなあ(笑)。まとまった研究成果をぜひ見てみたいところだ。

ちなみにそのヴァン・ダレン氏、2014年刊行予定の論集も控えているらしい。
Islamic Astronomical Tables: Mathematical Analysis and Historical Investigation (Variorum Collected Studies Series)

From China to Paris: 2000 Years Transmission of Mathematical Ideas (Boethius. Texte Und Abhandlungen Zur Geschichte Der Mathematik Und Der Naturwissenschaften)

あと、参考文献も(やはり価格に泣く……)

History of Oriental Astronomy: Proceedings of the Joint Discussion-17 at the 23rd General Assembly of the International Astronomical Union, organised by the Commission 41 (History of Astronomy), held in Kyoto, August 25–26, 1997 (Astrophysics and Space Science Library)

こちらぐらいなら……

Cosmos: An Illustrated History of Astronomy and Cosmology