「近代初期・近世のほうへ」カテゴリーアーカイブ

ライプニッツの数学

ライプニッツ―普遍数学の夢 (コレクション数学史)相変わらずまとまった時間が取れないのだが、とりあえず先週後半くらいから林知宏『ライプニッツ―普遍数学の夢 (コレクション数学史)』(東京大学出版会、2003-2015)を見ている。とりあえず前半を終え、最も分量のある第三章を読み進めているところ。年代順の大きな枠組み(ライプツィヒ期、パリ期、ハノーファー期など)で、ライプニッツの数学との格闘の歩みを辿ろうとする良書。その学問的な関わり方というか、抽象化された記号による一般式にいたる前の、煩雑な計算をひたすらこなしていたであろうあたりの手触り感が、割とヴィヴィッドに伝わってくるような印象。個人的にはその足跡の細かいエピソードやスタンスが興味深いところ。たとえば最初の章での、物と物との関係性へのこだわりであるとか、法学研究を通じて論証の確実性を求めるようになり、数学へと接近していくいった経緯(のちにこれとの関係で確率論が出てくる。これは第三章で扱われる)とか、あるいは記号代数学の形式性を取り入れることに抵抗がなく、虚量(虚数)すら単なる符合(記号)にすぎないと見なしているというあっけらかんとした構え方とか(第二章)。横断的な知性、とでもいうのだろうか?いずれにしても、そんなわけなので、位置解析にもとづく新幾何学をまとめ上げようとする野心をホイヘンスに告げても、ホイヘンスがあまり理解を示してくれない、などという事態が生じるというのも、エピソードとしてなかなかに面白い。そう、平凡ながら改めて想う。ライプニッツは確かに面白い(笑)。

「二重真理説」異聞 – 2

前回取り上げたルカ・ビアンキ『「二重真理説」史のために』(Luca Bianchi, Pour une histoire de la “Double Vérité” , vrin, 2008)から再び。同書の第4章(最終章)はとくにイタリアの16世紀を取り上げている。イタリアは実に特徴的だ。13世紀に禁令が発せられたフランスのパリ大学などとは違い、同時代のイタリアの大学には神学と哲学の対立関係はあまり見られない。それは一つには学問分類の違いがあったからだという。イタリアの場合、自由学芸の教育は神学のもとではなく、伝統的に医学のもとに従属していたのだという(神学は大学機構の中で、どちらかといえば周辺に追いやられていたらしい)。ところがやはりそちらにもその後は紆余曲折があって、15世紀末か16世紀にかけて、「信仰に反する」議論への反論が重要な問題として再浮上する。

とくに重要なのは、ラテラノ公会議での決議を受けて1513年に出されたレオ10世の教皇令『Apostolici regiminis』。霊魂の不滅という教会の教義を擁護したとして有名な教書だというが、これにはたとえば、教会関係者が文法と論理学を学んだ後、哲学(と詩学)の研究に専念できるのは、5年の神学と教会法の教育を受けた後でなければならない、といったことが定められているという。この教書の成立の背景には、パドヴァやボローニャでの「アヴェロエス派」の教師たちの教えがもたらした「状況」があったとされ、それまでの教会側からの大学教育への不干渉の伝統は、この教皇令によって覆されることになる。とはいえ、その教皇令は確かにその後反復的に使われていくようではあるけれど(1517年のフィレンツェ公会議など)、霊魂消滅の可能性を説いたポンポナッツィの『霊魂不滅論』(1516年刊、つまり上の教皇令から3年経っていない)の登場のように、その実際の効果・影響は、少なくとも16世紀前半に関しては比較的小さかったという。もっとも、当時の論者たちのいわば「自己規制」のようなものは、じわじわと広がっていくようだ(同書では様々な論者の名が挙げられているが、ここでは割愛)。

ところが16世紀後半に再び転機が訪れるという。検邪聖省ができ(1542)、トレント公会議が開かれ、禁書目録が公布される(1559)といった動きの中で、教義からのあらゆる逸脱の防止と弾圧がなされるようになっていく。けれども、二重真理説的なものの流れが完全に断たれるわけでもなく、たとえば17世紀のガレリオ裁判で教義的正当性の論証を担当したうちの一人、イエズス会士メルキオル・インコフェル(Melchior Inchofer)は、裁判と同じ1633年に刊行した著書において、基本的には教会教義を正しいとしながらも、地動説を支持する見解の存在にも触れ、また結論部では、地動説に絡んで二重真理説を主張するかののような驚くべき姿勢を見せているという。

「複数世界」

複数世界の思想史これまた読みかけだけれど、長尾伸一『複数世界の思想史
』(名古屋大学出版会、2015)
を見ているところ。複数世界、と言っても、これは可能世界論の話というよりは、近世の天文学の刷新によって生じた、星が生物の住処でしかも無数にあるというという新しい世界観(人間だけが特権的な被造物であるという単一世界論が崩れた時代の)の話。どちらかといえば自然学系、科学史的な話だ。確かに言われてみると、天体には生物が棲まうという考え方の歴史的位置づけ(そういう考え方がどのように、どこから生じてきたのかという問題)を取り上げた議論は、これまであまり見かけたことがない。その意味ではなかなかに貴重な研究。主に17世紀から18世紀を扱っているようだけれど、その手前の前史についても目配せしている。

その前史部分(第二章)では、そうした複数世界論は実は古代からあった、ということが論じられている。ただ、著者はそこで連続の相をとりわけ重視しているため、形而上学的な複数世界の可能性(神の創造性に絡む「パラレルワールドはありえるか」といった議論で、その肯定側としてとくにオレームやビュリダンなどが挙げられている)と、自然学的な複数世界(クザーヌス以降の、単一ながら無限であるとされる空間に他世界があるという議論)とがどこか地続きであるかのような議論になっている印象なのだが、個人的にはむしろそこに断絶線を見るほうがよいのではないか、という気がする。霊的なものとしての天体が「棲まう」場として天空が層をなしているといった古代からの世界観(中心にはもちろん人間世界がある)は、他世界を含む中心をもたない空間という世界観とそのまま直結できない、あるいは後者は前者からそのままでは発出しない、と思われるからだ。けれどもその場合、では後者の世界観はどのように析出もしくは産出されていったのか、というとても興味深い問題が浮上してくる。ある意味、そういう問題提起を投げかけてくるのが同書の第二章という印象だ。クザーヌスおびその周辺はちゃんと読まないと、という気にさせる(個人的に、以前にもそう言っていたような気がするが、まだちょっと余裕がない)し、またクザーヌスの次の世代にあたるコペルニクスについても同様。著者はコペルニクスの「知的冒険」について、それを突き動かしたのは、アレクサンドル・コイレが主張した新プラトン主義やヘルメス文書ではなかったかもしれない、と述べている(p.46)。うーむ、このあたり、なかなか面白そうだ。

余談ながら、同書の主要部分を占める17世紀と18世紀についての歴史的跡付けについては、研究リソースとして専門的なデータベースの使用が言及されている。17世紀はEEBO(Early English Books Online)、18世紀はECCO(Eighteenth Century Collections Online)というのがあって、英語文献を中心に全文検索できるらしい。長い年月をかけて古書を猟渉するのに代わり、入手も困難な書籍が簡単に閲覧できるという意味で、これはなかなか画期的だ。研究の中味も当然変わっていくのだろう。マイナーな書籍や著者をも議論に引き入れることが可能になる反面、それだけに、こうしたデータベースを丹念に、網羅的に読み渉っていくこともまた、新たな、相当に骨の折れる作業になるのだろうな、と……。

ジョルダーノ・ブルーノの魔術観

De la magie (nouvelle édition)このところ久々に、モノ(技術的対象)と人間との一種の混成状況を扱うものを少し読んできたが、そこで問題になっているのは、そうした混成状況がある種の操作性だったり倫理だったりを纏うという、脱人間論(機械化)的な議論と、それでもなお人間が主体としての揺るぎない地位を占めているという議論との、ある種の揺れ動き、あるは往還運動であるように思われる。で、言わずもがなだが、この議論には何度も繰り返されてきたような既視感がある。ルネサンス期あたりの魔術の関わりなどはまさにその一つではないだろうか……というわけで、16世紀の魔術論をジョルダーノ・ブルーノの小著『魔術について』(De Magia)を、手っ取り早く仏訳版(Giordano Bruno, De la magie (nouvelle édition), trad., Danielle Sonnier et Boris Donné, Éditions Allia, 2009)で読む。この小著は、ブルーノの生前には発表されず、19世紀末になってようやく日の目を見たものだそうで、ブルーノの主著である対話篇などとは趣きが異なり、どちらかといえば私的なメモといった風のもの。中味は、いわゆる魔術書ではなく、なんらかの秘伝や術が解説されているわけではない。むしろその背景をなす哲学的・自然学的な議論が大半を占めており、その個々のトピックは多岐にわたるわけだけれど、基本的には、主体の他者への働きかけが物質を介してなされている(物質だけでは他の物質に働きかけえない)という考え方が読み取れる。一方で形相が作用の主体をなすという点も揺るぎない。物質を結びつけるシンパシー、連携、結合などはすべて形相からもたらされる、と。いくぶん怪しげな部分(悪魔への言及など)を差引くならば、これはまさにモノと人間の混成状況での操作性論・倫理学の先駆け的なものとしても読めるというわけだ。

巻末には仏訳者らによる解説があるのだけれど、そこではブルーノにとっての同書が、マルクスにとっっての『フォイエルバッハに関するテーゼ』にも匹敵するものではなかったかとの指摘がある。つまり、純粋な理論による世界の秩序の考察を、世界を変えるための真の活動でもって乗り越えるための、手段として魔術があった、というわけだ。とはいえ、それはあくまでマニフェストなのであって、同書で展開する魔術論は抽象的なものにとどまり、魔術的なものがもたらしうる宇宙の霊的な連続性の証拠にこそ、ブルーノの関心はあったのだろうとも述べている。このあたりの話の是非はすぐには判断できないので、さしあたり置いておくけれども、印象としてはそれが「観想的魔術」(G.ノーデという研究者の用語)だったという解説は妥当のようにも思える。

また余談になるけれども、個人的には、魔術(いわば技術的介入)の操作がもたらすモノのシンパシーないし調和の喩えとして、楽器の話が出てくるのも興味深い。狼はロバや羊にとってのおそれをなす対象だが、ロバの皮を張った太鼓は狼の皮を張った太鼓(!)よりも音の厚みでまさっている、とか、羊の腸を張ったリュートは、狼の腸を張ったリュート(!)とは、調和した音を生み出すことができないとか……云々。狼を用いた太鼓やリュートがあったとは思えないけれど(?)、表現として面白い。これまた解説によると、少し時代が下ってからのディドロも、同じようなレトリックを駆使しているといい、人間ほか生き物全般を振動する弦に喩え、「魂と感覚をもったチェンバロ」(18世紀末なのでリュートは下火だった)などと表現しているのだとか。これもちょっと要確認かな(笑)。ディドロの唯物論も気になるところではある。

カッシーラーから見たルソー

ジャン=ジャック・ルソー問題 [新装版]このところ時間が取れず、先週はブログも完全にお休み。今週あたりからはぼちぼちと再開しよう。というわけで、まずはこれ。カッシーラー『ジャン=ジャック・ルソー問題 [新装版]』(生松敬三訳、みすず書房)。1974年刊行のものの新装版(2015)。原著は1932年刊だというが、今読んでもなかなか味わい深い。個人的にはルソーのドイツ語圏での受容というのはどんなだったかに関心を覚えていたのだけれど、ここで展開するのはそういう話ではなく、ルソーの思想内容、とりわけ社会の問題、法の問題についての視座が、表面的な矛盾の数々にもかかわらず一貫していること(第一論文)、さらに倫理学から感情論を切り離すという、当時の倫理学に対立するかのような独自の体系をしつらえていることを(第二論文)を、様々な角度から検証していくというのが趣旨となっている。でも、その過程で、そうしたルソーの独自性、一貫性を理解していたのは、同時代においてほぼカントだけだった(!)という指摘がなされている。うーむ、カッシーラーは新カント派に属していたわけでもあり、また20世紀初頭あたりの時代的な要因もあって、カントはかなり贔屓目で見られていたような感じもなきにしもあらずだが、改めて現代的な研究によるルソーの受容史というのを見てみたい気がする。